石峰寺

若冲五百羅漢

深草にある黄檗宗寺院。江戸宝永年間、中国僧であった萬福寺の黄檗六世 千呆性案により創建された。画家の伊藤若冲が門前に草庵を結び隠遁し、磊落な筆法で下絵を描き名工に彫らせた五百羅漢の石仏群で知られる。

石峰寺

石峰寺について

基本情報

山号寺号
百丈山石峰寺(ひゃくじょうざんせきほうじ)
別記
石峯寺
宗派
黄檗宗
創建
1713年(正徳三年)
開山
千呆性案(せんがいしょうあん)
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪深草駅徒歩5分、JR稲荷駅徒歩8分
住所
京都府伏見区深草石峰寺山町26
サイト
石峰寺

概要

深草にある黄檗宗寺院。 江戸宝永年間(1704年~1711年)、中国僧であった萬福寺の黄檗六世 千呆性案により創建された。 江戸寛政年間、画家の伊藤若冲が門前に草庵を結び隠遁し、磊落な筆法で下絵を描き名工に彫らせた五百羅漢の石仏群で知られる。 創建時は大寺であったが、廃仏毀釈や大火などで荒廃し、現在は昭和60年に再建された本堂や中国風の赤門などが建っている。

見所

観光名所
本堂 - 大正4年と昭和54年の火災で焼失。昭和60年の再建。
書院 - 庫裏とともに創建時の建物。
赤門 - 中国風の龍宮造の山門。
観音堂 - 廃仏毀釈で失われるまで、格天井を伊藤若冲の描いた天井画が飾っていた。
五百羅漢 - 安永年間(1772年~1781年)、伊藤若冲が磊落な筆法で下絵を描き名工に彫らせた白川石の石像群。当初は千体以上あったが、現在は四百数十体残っている。
伊藤若冲の墓 - 本堂南にある。85歳の生涯を石峰寺門前の自宅で閉じ、土葬された。
貫名海屋の筆塚 - 本堂南にある。書家 貫名海屋(ぬきなかいおく)撰文の筆塚。
茶椀子の水 - 門前西の地蔵堂にある古井戸。茶の湯に好まれる名水。

行事

9月10日
若冲忌 - 伊藤若冲命日に行われる法要。寺宝の掛軸が一般公開される。

歴史

平安時代
摂津国多田郷に沙羅連山石峰寺が創建され、その後兵火で廃寺となった。
1596年
沙羅連山石峰寺本尊であった薬師如来像が土中から発見され、京都五条橋東の祠に祀られた。
1704~1711年
宝永年間、黄檗宗開祖 隠元隆琦(いんげんりゅうき)の孫弟子にあたる六世 千呆性案により創建され、禅師が尊崇していた沙羅連山石峰寺本尊であった薬師如来を移し本尊とした。創建当時は大寺であった。
1791年
画家 伊藤若冲が、石峰寺門前に草庵を結び隠遁した。
1800年
伊藤若冲が死去し当寺に埋葬された。
大正4年
火災で伽藍の大部分を焼失。
昭和54年
放火で本堂と本尊薬師如来が焼失。
昭和60年
本堂が再建され、本尊が釈迦如来像となった。

撮影後記

 宝塔寺の七面山の山麓にある万福寺を本山とする禅刹です。 本堂裏の竹林に散在する五百羅漢像が必見なのですが、残念ながら2010年の秋ごろから、撮影並びにスケッチ禁止となってしまいました。 あと数か月早く訪問すべきでしたね。 マナーのなっていないカメラマンや絵描きとそれに憤慨したお寺さんのしばしば見かける事情によるもの。 関係ない人も迷惑する自己中同士の負のスパイラルです。

更新履歴

2012年10月5日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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