元慶寺

花山寺

869年、遍昭が創建した山科にある天台宗寺院。花山天皇ゆかりの寺で、「花山寺」とも称す。摂関政治の転機になる「寛和の変」で、花山天皇は当寺に出家し、一条天皇の外祖父となった藤原兼家は摂政に就任した。

元慶寺

元慶寺について

基本情報

山号寺号
華頂山元慶寺(かちょうざんがんけいじ)
別称
花山寺
宗派
天台宗
創建
869年頃(貞観11年頃)
開山
遍昭
開基
藤原高子
本尊
薬師如来
札所
西国三十三カ所 番外札所
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
北花山バス停徒歩5分、地下鉄御陵駅徒歩15分
住所
京都府京都市山科区北花山河原町13

概要

山科にある天台宗の寺で、花山天皇ゆかりの寺として知られ、「花山寺」とも称せられる。 869年頃(貞観11年頃)、桓武天皇の孫 遍昭僧正が、貞明親王(後の陽成天皇)の誕生に際して創建した。 開基は天皇の母である藤原高子。 摂関政治の転機になる政変「寛和の変」では、藤原兼家らの策略によって、花山天皇が当寺で出家し、懐仁親王が一条天皇として即位し、外祖父となった藤原兼家は摂政に就任した。 花山法皇は中興の祖となり興隆したが、応仁の乱の兵火で衰退した。 現在の竜宮造の山門や方形造の本堂は、江戸安永年間(1772年~1781年)の再建。

見所

観光名所
本堂 - 安永年間(1772年~1781年)の再建。本尊薬師瑠璃光如来、遍照作という木像、花山法皇の宸影などが安置されている。
山門 - 安永年間(1772年~1781年)の再建。京都三竜宮門のひとつ。梵天と帝釈天が安置されていた(京都国立博物館寄託)。
鎮守社 - 六所神社が祀られている。

歴史

869年頃
遍昭が「華山寺」を創建した。
877年
清和天皇の勅願寺となり、「元慶寺」に改号した。
986年
寛和の変で花山天皇が当寺で出家した。
応仁の乱
兵火で焼失した。
1772~1781年
安永年間、現在の堂宇が再建された。

撮影後記

 開山の遍昭は桓武天皇の孫にあたり、僧正にまで昇った平安時代前期の僧で、六歌仙および三十六歌仙のひとりである有名な歌人です。 山科に宮内庁管理の陵墓が存在します。
 また山科は、花山院ゆかりの場所も多く、前回アップした花山稲荷神社もそのひとつです。 17歳で即位した新進気鋭の新帝は、幾多の女性と浮名を流したプレイボーイでもありましたが、寵愛する一人の女御の死が、若干19歳で出家を決意するきっかけとなりました。 以降は芸術の道に没頭し、西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の中興伝説も生みます。

更新履歴

2015年2月23日
初版をアップロードしました。

元慶寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野