大雲院

祇園閣

祇園にある浄土宗系単立寺院。1587年、織田信長父子の菩提を弔うため二条烏丸に創建された。その後、秀吉によって四条寺町に移され、昭和48年に現在地に移った。境内には祇園祭の山鉾形の楼閣「祇園閣」がそびえる。

大雲院

大雲院について

基本情報

山号寺号
龍池山大雲院(りゅうちざんだいうんいん)
別称
祗園閣、銅閣寺
宗派
浄土宗系単立
寺格
本山
創建
1587年(天正十五年)
開山
貞安(ていあん)
開基
正親町天皇
本尊
阿弥陀如来
駐車場
駐車場なし
交通機関
祇園バス停徒歩5分
住所
京都府京都市東山区祇園町南側594-1

概要

八坂神社の南東側にある浄土宗の単立寺院。 境内に立つ高さ36mの祇園祭の山鉾形の楼閣「祇園閣」は、当院のシンボル的存在。 1587年、織田信長の篤い帰依を得ていた貞安が、正親町天皇から二条烏丸の地を賜って、織田信長、織田信忠父子の菩提を祀るために建立された。 織田信忠の法名より「大雲院」と号された。 その後、豊臣秀吉の都市改造政策で、四条寺町に移された。 昭和48年、高島屋京都店の店舗拡張により大倉家京都別邸の現在地に移った。 墓地には、石川五右衛門の墓や信長父子の供養塔がある。

見所

国重要文化財
絹本著色前田玄以像
紙本墨書正親町天皇宸翰消息
国文化財
祇園閣 - 高さ36mの祇園祭の山鉾形の楼閣。最上階からは京都市街が一望できる。昭和3年、大蔵喜八郎が別荘であった当地に金閣銀閣に次ぐ銅閣をイメージして建立したといわれる。
大雲院書院(旧大倉家京都別邸) - 昭和2年、大倉財閥の大倉喜八郎によって建てられた別邸「真葛荘」。
市文化財
刺繍阿弥陀三尊来迎図 - 鎌倉から室町時代にかけて浄土教信仰に促されて製作されたもの。
梵鐘 - 延徳四年の鋳出銘がある室町時代中期の梵鐘。 もと八坂感神院のもの。
観光名所
本堂 - 昭和48年建立。本尊の阿弥陀如来坐像が安置されている。
総門 - 旧宮家の門を東京から移築したもの。
山門 - 四条寺町の旧寺域から移築したもの。
鐘楼 - 安土桃山時代の建物で、北野天満宮から移築されたもの。梵鐘は、室町時代のもので市文。
石川五右衛門の墓 - 墓地に33回忌に建立された墓がある。四条寺町の旧寺域から移された。
信長父子供養塔 - 墓地に織田信長、織田信忠父子の供養塔がある。四条寺町の旧寺域から移された。
火除天満宮 - 旧寺域の四条寺町(フジイダイマルとタカシマヤの間)に今も残る元鎮守社。

歴史

1587年
織田信長の篤い帰依を得ていた貞安が、正親町天皇から烏丸御池の地を賜って、織田信長、織田信忠父子の菩提を祀るために建立。織田信忠の法名より「大雲院」と号された。
1590年
豊臣秀吉の都市改造政策で、四条寺町(タカシマヤとフジイダイマル一帯)に移された。
1591年
後陽成天皇によって勅願寺となり、織田信長、信忠父子の石塔が建立された。
江戸時代
日向国 佐土原藩主 島津以久(ゆきひさ)の帰依を得て、14の塔頭を持ち興隆した。
1788年
天明大火で焼失。
明治維新
廃仏毀釈神仏分離により、寺域が縮小され、鎮守社だった火除天満宮が分離した。
明治22年
第一回京都市市議会が当院で開かれた。
昭和2年
現寺域に大倉財閥の大倉喜八郎によって別邸「真葛荘」が建てられた。
昭和3年
現寺域に大倉喜八郎によって祇園閣が建てられた。
昭和48年
高島屋京都店の店舗拡張により現在地に移転した。

撮影後記

 この寺院は普段は拝観寺院ではない(10名以上の事前申し込みなら可能らしい)のですが、秋の紅葉時期などに特別公開されます。 祇園閣の最上階からの眺めは、いつもは向こうからこちらを眺めているので、新鮮な気持ちになります。 昭和40年代までは京都タカシマヤなどが建っている四条の繁華街に鎮座していて、珍しい建築様式の本堂だったそうです。 今も地名に残る貞安前之町は、開山の貞安上人に由来しています。

更新履歴

2012年7月17日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2015年3月11日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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