宗仙寺

曹洞宗洛中三ヶ寺

京都の数少ない曹洞宗寺院で、鎌倉時代に道元が創建した洛中三ヶ寺のひとつとされる。江戸時代には本山永平寺に代わり、宮中参内を許された役寺であった。有栖川宮家7代韻仁親王の時に有栖川宮家御祈願所となった。

宗仙寺

宗仙寺について

基本情報

山号寺号
大平山宗仙寺(たいへいざんそうせんじ)
宗派
曹洞宗
創建
伝 鎌倉時代
開山
道元
開基
道元
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
五条高倉バス停徒歩3分、地下鉄五条駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区堺町34

概要

京都の数少ない曹洞宗寺院で、鎌倉時代に道元が創建した洛中三ヶ寺(ほかに慈眼寺、天寧寺)のひとつとされる。 平安時代には源氏物語の光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)が、この一帯に六条河原院を営んだ。 慶長7年(1602年)青梅市海禅寺の天江により中興され、六条高倉から現在地の堺町に移転した。 江戸時代には本山永平寺に代わり、宮中参内を許された役寺(寺務代行)であった。 有栖川宮家7代韻仁親王の時に有栖川宮家御祈願所となった。

見所

観光名所
書院 - 明治36年の再建。狩野永徳筆の襖絵(京都国立博物館寄託)。
ダ枳尼尊天・大辨財尊天社 - 源融の念持仏を祀ったものとされる。
籬ノ井(まがきのい) - 河原院の庭の中島籬ノ島ゆかりの井戸といわれる。
墓地 - 高橋道八(清水焼の歴代)、天野鵲橋(江戸時代後期の篆刻家)、面山瑞方(江戸時代後期の曹洞宗僧)の墓。

歴史

平安時代
源氏物語の光源氏のモデル源融が、この一帯に六条河原院を営んだ。
鎌倉時代
道元が創建したと伝わる。
1465年
京都所司代の多賀高忠が六条高倉に創建したとも伝わる。
1602年
天江により中興され、現在地の堺町に移転した。
江戸時代
本山永平寺に代わり、宮中参内を許された役寺であった。
1788年
天明の大火により類焼した。
1858年
安政の大火により焼失した。
1864年
禁門の変により類焼し、塔頭数院が焼失し廃寺となった。
明治時代
有栖川宮家7代韻仁親王の時に有栖川宮家御祈願所になった。
明治36年
現在の建物が再建された。

撮影後記

 六条河原院の範囲は、河原町五条の本塩竃町一帯で、西は萬里小路(現在の柳馬場通)までの4町相当です。 ですので高倉通に面して建つ宗仙寺は、厳密には範囲外となります。 ただ一説には、8町もの広大な敷地であったといわれ、境内にも河原院ゆかりの遺跡があることから、「御所・寺町・河原院」カテゴリで紹介しています。

更新履歴

2015年9月25日
初版をアップロードしました。

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