伏見稲荷大社

千本鳥居

全国稲荷神社の総本宮で、五穀豊穰から商売繁盛といった稲荷信仰の中心地である。背後にある稲荷山には、その数1万基といわれる鳥居の回廊が4kmに及び走り、特に奥社までの参道は「千本鳥居」として高名である。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社について

撮影後記

 狛キツネでお馴染、ここが「お稲荷さん」の総本宮になります。 五条より南は、もうひとつの代表的な庶民信仰の祗園社(八坂神社)の勢力も及ばない、伏見稲荷の氏子圏だったそうです。
 伏見稲荷は、何といっても朱の回廊に尽きますよね。 外国人ウケもよろしいようで、東山でも観光地と呼べる三年坂地区から相当距離がありますが、外国人の姿を度々見かけます。
 千本鳥居を通られた方は御存知かと思いますが、前後の奉納鳥居の隙間はごくわずかです。 もう奉納できるスペースないんじゃないかと思いますよね。 いくつか取り壊されている鳥居も目につきますが、あれは古くなると鳥居が取り壊されるそうです。 ですので取り壊されないように、毎回少しずつ大きな鳥居を奉納していくそうです。 大きくなると、無論、初穂料はとても高額になります。 それを払い続けられる方もいるし、それ以外の方もいるということになるわけで、そこに新たにスペースができます。 ちなみに、千本鳥居最初の大鳥居は某有名広告代理店でした。

概要・歴史

全国約4万社にも及ぶ稲荷神社の総本宮で、京都市における最古社のひとつ。 農業神である稲荷神を祀るため、五穀豊穰から商売繁盛といった御利益があり、参詣者は絶えることがない。 正月初詣では、近畿地方の社寺のなかで最多の参拝者を誇っている。 境内は東山最南端の標高233mの稲荷山一帯に広がりっている。 稲荷山にはその数1万基といわれる丹塗りの鳥居の回廊が走り、神蹟を巡拝する約4kmの「お山巡り」ができる。 特に奥社までの70mの参道は「千本鳥居」と称される。 711年、秦伊呂具(はたのいろぐ)が、稲荷山の三ヶ峰に、三柱の神を創祀したのがはじまりで、秦氏の子孫が歴代稲荷社の祠官となった。 「山城国風土記」によれば、伊呂具が、餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白鳥になって山の峰に飛び去り、そこに稲が生えたので、その穀霊を祀り「伊禰奈利(いねなり)」と称され社名になったとある。 816年、現在の地に社殿が移されたといわれる。 827年、空海が東寺の塔の用材として神木を伐ったことから真言宗と結びつき、稲荷信仰が広がった。 1499年、応仁の乱による兵火で焼失した本殿が再建された。 延喜の制では名神大社に列し、明治4年、官幣大社に列格するとともに「稲荷神社」とし、戦後間もなく、伊勢神宮を本宗とする神社本庁とは独立した単立宗教法人となり「伏見稲荷大社」と改称した。

住所: 京都府 京都市伏見区深草藪之内町68

更新履歴

2011年7月12日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

伏見稲荷大社紀行のコメント

コメント欄

いつも素敵なお写真をありがとうございます。
京都に通う学生なのですが、こういった名所には
疎い無骨者です・・・。ですが、管理人様の
お写真を拝見してもっと京都に関心を持とうと
思わされました。「夏の風景」は見ていて
心が締め付けられるような切なさを感じました。
好きな人と静かに眺めたい景色です。"(-""-)"
長文失礼致しました。

ふあー!すごく綺麗!!o(≧▽≦)o

綺麗ですね…(´∀`*)ポッ

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