北野天満宮

天満宮の双璧

通称、天神さん。菅原道真を主祭神とし、太宰府天満宮とともに天神信仰の中心である。毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わう。また、梅および牛との関係が深いことでもよく知られている。

北野天神の梅

北野天満宮について

撮影後記

 2008年の春、この北野天満宮から梅を中心とした撮影に出発しました。 このときは、重い機材を背負い、青春18きっぷで、主に山陽、九州の梅の名所を廻りました。 最終的に、鹿児島県の藤川天神というとこまで行ったのですが、そこに道真の墓と伝えられているものがありました。 平家伝説や義経伝説のように、実は太宰府天神で病死せずに、薩摩へ隠棲したということのようです。 藤川天神を訪問したのは、道真の足跡を追ってたわけではなく、梅の名所ということで偶然訪問しただけです。 いま思い出すと、北野天神から、防府天満宮や太宰府天満宮、そして藤川天神と、道真の足跡を自然と追っかけてたんですね。

歴史・概要

通称、「天神さん」「てんじんさん」「北野さん」。 菅原道真を主祭神とし、学問の神様として知られ多くの受験生らの信仰を集めている。 太宰府天満宮とともに天神信仰の中心である。 毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わう。 国宝の指定を受ける現在の本殿は1607年、豊臣秀頼が造営したもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存する。 八棟造と称され、桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えている。 903年、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で歿した後、京都では落雷が相次ぎ、御霊信仰と結びついて恐れられ、北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされる。 987年、一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得る。 中世になっても菅原氏・藤原氏のみならず足利将軍家などからも崇敬を受けた。 1587年、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された。 江戸時代には道真の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになり、寺子屋などで当社の分霊が祀られた。 以来「天神様」として親しまれ、学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれる。 また北野天神は、梅および牛との関係が深いことでもよく知られている。

所在地: 京都府 京都市上京区馬喰町

更新履歴

2010年8月15日
初版をアップロードしました。
2010年12月11日
ギャラリーに作品を7点追加しました。
2011年1月23日
ギャラリーに作品を4点追加しました。
2011年6月8日
ギャラリーに作品を7点追加しました。
2012年1月23日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2012年2月13日
カテゴリを「洛中」から移動しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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