大黒寺

薩摩寺

「薩摩寺」とも呼ばれる真言宗東寺派の寺で、1615年、薩摩藩主 島津家久は、薩摩藩の祈祷所にした。本堂には空海が刻んだとされる秘仏大黒天像が安置され、60年に一度開帳される。境内には薩摩藩士たちの墓がある。

大黒寺

大黒寺について

基本情報

山号寺号
円通山大黒寺(えんつうざんだいこくじ)
別称
薩摩寺
宗派
真言宗東寺派
創建
伝 平安時代
開山
伝 空海
開基
島津義弘
本尊
大黒天
札所
京都大黒天霊場 第6番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
京阪丹波橋駅徒歩5分、近鉄丹波橋駅徒歩5分
住所
京都府京都市伏見区鷹匠町4

概要

弘法大師空海が大黒天像を刻み開創したと伝える真言宗東寺派の寺で、もとは長福寺と号していた。 薩摩藩邸に近い長福寺には、島津家の護り本尊である出世大黒天像が安置されていた。 1615年(元和元年)、薩摩藩主 島津家久は、伏見奉行 山口駿河守に懇願し、薩摩藩の祈祷所にして寺名を「大黒寺」と改めた。 以後、「薩摩寺」とも呼ばれるようになった。 本堂には空海が刻んだとされる大黒天像が安置され、60年毎の甲子の年に開帳される。 境内には薩摩藩士の墓があり、寺田屋騒動で粛清された有馬新七ら薩摩藩勤王九烈士や、薩摩藩家老 平田靭負などが眠る。

見所

観光名所
本堂 - 弘法大師空海の作と伝わる秘仏出世大黒天像を安置。60年毎の甲子の年に開帳される。
薩摩義士碑 - 木曽三川分流工事(宝暦治水事件)の責任で自刃した薩摩藩家老 平田靱負(ゆきえ)を顕彰する。墓地に墓がある。
伏見寺田屋殉難九烈士之墓 - 西郷隆盛が建立したという寺田屋騒動で粛清された薩摩藩勤王組織「精忠組」の有馬新七、田中謙助、橋口伝蔵、柴山愛次郎、弟子丸竜助、橋口壮介、西田直五郎、森山新五左衛門、山本四郎の墓。
伏見義挙殉難士之墓地の碑 - 伏見奉行 小堀政方の悪政を幕府に直訴し、悲惨な最期を遂げた文珠久助ら伏見義民7人の遺髪が納められている。

歴史

平安時代初期
弘法大師空海が「長福寺」を開創したと伝わる。
桃山時代
豊臣秀吉が深く信奉した。
1615年
薩摩藩主 島津家久は、長福寺を薩摩藩の祈祷所に定め、「大黒寺」と改めた。

撮影後記

 伏見の金札宮の向かいにある寺です。 その他の見所として、庭に「金運清水」という水がこんこんと湧き出て、京の名水となっています。 平成13年に掘られた新しい井戸だそうですが、さすがは伏水とも呼ばれた水の豊かな伏見だけはあります。 また、幕末に西郷隆盛や大久保利通などが国事を論じたという一室もあるそうです。

更新履歴

2015年1月22日
初版をアップロードしました。

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