金蔵寺

京都市街が一望

飛鳥時代の718年創建と伝わる天台宗の古刹で、小塩山の中腹に立つ。桓武天皇が、平安京遷都にあたり都の四方に経文を納めたとき、西の岩倉となった。秋の紅葉が見事で、見晴らし台からは京都市街が一望できる。

金蔵寺

金蔵寺について

撮影後記

 「今昔物語」にも登場する西山の古刹で、平安京遷都以前の寺院。 辿り着くにはバス停から1時間も山道を登らないといけないそうなので、足がない人はタクシーが望ましいかと。 それでも、マウンテンバイクで来て、小塩山まで登る元気な中高年の方を2度ほど見かけましたが。 足がある方でも、離合困難な山道が続くので、初心者の方は気を付けてください。 特に、秋の紅葉時期の週末は。
 私は見たことがありませんが、徒歩だと、途中に高さ約12mの産の滝が流れ落ちているそうです。 なんでも文武天皇の孫にあたる向日明神が、この滝の近くで産まれたといわれます。 行楽日和ならば、ゆっくりと自分の足で向かうのもいいかもしれませんね。

概要・歴史

山号を西岩倉山とする天台宗の寺院。 開基は元正天皇、開山は隆豊禅師、本尊は十一面千手観音である。 寺伝によると718年、元正天皇の勅願により山主向日明神の力を受け楠木から千手観音が刻まれ、隆豊禅豊が小塩山の中腹に創建した。 728年、聖武天皇より金蔵寺の勅額を下賜された。 平安京遷都にあたり、桓武天皇が王城鎮護を祈願して都の四方の岩倉に経文を納めたとき、金蔵寺が西の岩倉となり、西岩倉山の山号を賜った。 当初、法相宗と三輪宗の寺院であったが微衰。 その後、天台座主である良源の弟子が中興し、天台宗に改宗された。 七堂伽藍が整備され49院を持つ大寺院となったが、応仁の乱での兵火で焼失。 江戸時代、徳川綱吉の母である桂昌院によって再興された。 秋の紅葉が美しい。

住所: 京都府 京都市西京区大原野石作町1639

更新履歴

2011年7月9日
初版をアップロードしました。
2012年2月11日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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