千光寺

大悲閣

「大悲閣」と通称される嵐山の山腹に建つ黄檗宗単立寺院。角倉了以が晩年、河川開削工事に従事した人々の菩提を弔うため建立し、ここに隠遁した。大悲閣からは、了以たちが開削した大堰川や京都市街が一望できる。

千光寺

千光寺について

基本情報

山号寺号
嵐山千光寺(あらしやませんこうじ)
別称
大悲閣(だいひかく)
宗派
黄檗宗単立
創建
1614年(慶長19年) - 現在地に移転時。
開山
道空了椿(どうくうりょうちん)
開基
角倉了以
本尊
千手観世音菩薩
駐車場
駐車場なし
交通機関
阪急嵐山駅徒歩30分、京福嵐山駅徒歩30分
住所
京都府京都市西京区嵐山中尾下町62
サイト
大悲閣千光寺

概要

「大悲閣」と通称される嵐山の山腹に建つ黄檗宗単立寺院。 もと清涼寺の近くにあり天台宗千光寺と号する後嵯峨天皇の祈願所であったが、角倉了以が、河川開鑿工事に従事した人々の菩提を弔うため現在地に新たに建立し、念持仏の千手観音の「大慈大悲」から「大悲閣」と名付けた観音堂に移り住んだといわれる。 本堂には、了以の念持仏であった本尊の千手観音像及び法衣姿の木像了以像を安置している。 大悲閣からは、眼下に了以が開削した保津川、京都市街地や遠く比叡山などが見渡せる。

見所

観光名所
本堂 - 伊勢湾台風の被害で、昭和53年に解体。現在の本堂は仮本堂。
大悲閣 - 伊勢湾台風の被害でゆがみワイヤーで補強されている。月見台からは眼下に大堰川、市街地や遠く比叡山などが見渡せる。
千手観世音菩薩像 - 本尊。角倉了以の念持仏。恵心の作といわれる。
木造角倉了以座像 - 大堰川(保津川)の安全を願うように客殿(月見台)に祀られている。
松尾芭蕉の句碑 - 参道入口に「花の山 二町のぼれば 大悲閣」と立つ。
角倉了以顕彰碑 - 了以の長男 角倉素庵(すみのくらそあん)の建立。林羅山の選文。
夢窓疎石の座禅石 - 国師が座禅を組んだといわれる。

歴史

鎌倉時代
もと清涼寺の近くにあり天台宗千光寺と号し、後嵯峨天皇の祈願所であった。
1614年
角倉了以が、河川開鑿工事に従事した人々の菩提を弔うため、二尊院の道空了椿を中興開山に迎え建立し、境内の観音堂に移り住んだといわれる。
1808年
角倉玄寧が復興し、黄檗宗に改宗した。
明治維新
大悲閣を除き伽藍を失った。
昭和34年
伊勢湾台風で本堂と大悲閣が被害に遭った。

撮影後記

 渡月橋南畔から保津川沿いの小道をてくてく1キロほど歩いて、星のやさんのところからつづら折りの急坂の参道を登りつめたところにあります。 アプローチも、森閑な雑木林が続くわけでもなく、途中の保津川下りの船を眺めたりして飽きません。 雑多な渡月橋の喧騒から数十分ほどで、まるで仙境に来た気分。 多少苦労してたどり着くだけあって、客殿からの景色は絶景で、風が心地よいです。
 撮影に関しては、残念ながら前日の雨で大半のモミジが散ってしまったそうです。 再訪のトップリストですね、ここは。

更新履歴

2012年6月3日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2015年9月26日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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