芳春院

加賀百万石 お松の方

臨済宗大徳寺の塔頭で、加賀百万石前田氏祖 前田利家の正室 お松の方(芳春院まつ)が、前田家の菩提寺として創建した。方丈前庭には枯山水が、後方には小堀遠州作と伝わる呑湖閣を中心とした山水園が作庭されている。

芳春院

大徳寺芳春院について

基本情報

山号寺号
芳春院(ほうしゅんいん)
宗派
臨済宗大徳寺派
寺格
大徳寺塔頭
創建
1608年(慶長十三年)
開山
玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)
開基
芳春院 - 前田利家正室 松子(まつ)
本尊
釈迦牟尼仏
駐車場
有料駐車場あり - 大徳寺駐車場利用。
交通機関
大徳寺前バス停徒歩7分
住所
京都府京都市北区紫野大徳寺町55

概要

臨済宗大徳寺の塔頭で、加賀前田家の菩提寺である。 1608年、加賀百万石の前田氏祖 前田利家の正室 お松の方(まつ)が、息子の利長・利常と共に前田家の菩提寺として、大徳寺147世 玉室宗珀を開山に迎え創建した。 寺号は松子の法号「芳春院」による。 寛永の大火により創建時の伽藍は失われ、13代藩主 前田治脩により再建された。 さらに廃仏毀釈で堂宇の大半を失い、明治8年に復興された。 方丈後方には、小堀遠州作と伝わる呑湖閣を中心とした楼閣山水園がある。 墓地には、芳春院や前田利長の御霊屋をはじめ、東寺百合文書の整理を行った前田綱紀の霊屋など前田家代々の墓がある。

見所

国重要文化財
大燈国師墨跡 - (京都国立博物館寄託)
絹本著色多賀高忠像 - (大阪市立美術館寄託)
府文化財
霊屋 - 向かって左が母まつの御霊屋、右が長男の前田利長の御霊屋。
昭堂(呑湖閣) - 1815年の再建で、山水庭園の中心となる楼閣。金閣、銀閣、西本願寺飛雲閣と共に「京都四閣」のひとつとされる。上層からは比叡山や大徳寺の大伽藍が見渡せ、比叡山背後の「琵琶湖を丸呑みする」という意味を持つ。
打月橋 - 1815年の再建。飽雲池に架かる呑湖閣に至る木橋。
表門 - 1600年頃の唐門。
墓参門 - 江戸中期の薬医門。昭和6年に移築された。
観光名所
本堂(方丈) - 明治元年の再建。
花岸庭 - 方丈前庭の枯山水庭園で、山渓から流れ出る水が、やがて大海へ帰る姿を表している。中根金作により修復された。初夏には沙羅双樹が咲き、かつては一面に桔梗(キキョウ)が咲き誇った。
楼閣山水園 - 方丈裏庭。1617年、長男 前田利長が、小堀遠州に依頼して作庭したものと伝わる。飽雲池に呑湖閣の楼閣が建ち、夏には睡蓮(スイレン)が水面に浮かぶ。
茶室 - 二畳二台目の落葉亭などが書院の奥にある。

歴史

1608年
前田利家の正室 松子が、息子の利長・利常と共に前田家の菩提寺として、大徳寺147世 玉室宗珀を開山に迎え創建した。寺号は松子の法号「芳春院」による。
1617年
前田利長が、小堀遠州に依頼して呑湖閣を建立したと伝わる。
1796年
寛永の大火により全焼した。
1798年
加賀藩13代藩主 前田治脩により再建された。
明治維新
廃仏毀釈により荒廃した。
明治8年
旧金牛院閣を移築し、書院などが建立されて復興された。

撮影後記

 数年前に放送されたNHK大河ドラマ「利家とまつ」で、加賀百万石の礎を築いたお松の方ゆかりの禅院です。 大徳寺の最北に位置している塔頭になります。 普段は拝観できないのですが、毎年定期的に公開されています。
 ギャラリーには撮影禁止でしたので掲載していませんが、境内奥にも素敵な山水庭園があります。 その中心に「呑湖閣(どんこかく)」という楼閣が建っています。 この楼閣には立ち入ることができないのですが、拝観パンフレットには「楼閣の南廊に立てば、山門、仏殿、法堂をはじめ、大徳寺山内の寺々が昔のままに見え禅林の歴史の重みが感じられます。」と記載されています。 大徳寺は電柱などが地下埋設されているので、「昔のままに見え」から、一度見てみたいものです。

更新履歴

2012年12月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを西陣・室町・紫野から移動しました。

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