浄福寺

日本最古の違法建築本堂

延暦年間開創の広大な伽藍を構える浄土宗寺院。複合建築の本堂内部は、奥行き9間の大広間を確保している。江戸時代には三間梁規制があったが、役人は違法ともいえず、「日本最古の違法建築」を黙認したという。

浄福寺

浄福寺について

基本情報

山号寺号
恵照山浄福寺(えしょうざんじょうふくじ)
別称
赤門寺、村雲寺
宗派
浄土宗
創建
782年~806年(延暦年間)
開山
賢憬(けんけい)
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり - 境内参道。
交通機関
千本中立売徒歩5分
住所
京都府京都市上京区浄福寺一条上ル笹屋町2丁目601

概要

千本中立売の北東に広大な伽藍を構える浄土宗寺院。 はじめ天台宗で延暦年間(782年~806年)の開創と伝えられ、二十五大寺の一つに数えられていた。 鎌倉時代、後宇多天皇の勅により一条村雲に移り、「村雲寺」とも呼ばれた。 1572年、浄土宗知恩院の末寺となり、1615年に現在地に移転した。 本堂は、礼堂と仏殿を合の間で接続した複合建築で、内部は一部屋とし奥行き9間の大広間を確保している。 江戸時代に定められた「三間梁規制」があったが、役人は違法ともいえず、「日本最古の違法建築」を黙認したという。 東門は朱塗の赤門であることから、寺が「赤門寺」と称せられる。 これらを含む8棟は、火災で焼失後の江戸中期の再建で、近世浄土宗寺院の伽藍配置や建築形式をよく伝え、市の文化財に指定されている。

見所

国重要文化財
絹本著色阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図 2幅 - 鎌倉時代の木版画。(京都国立博物館寄託)
絹本著色十王像 10幅 - 1489年の土佐光信筆。(東京国立博物館寄託)
市文化財
本堂 - 1733年の造営。入母屋造の礼堂と寄棟造の仏殿を合の間で接続した複合建築で、外観は二つの建物が並列するように見せ、内部は一部屋とし奥行き9間の大広間を確保した。江戸時代に定められた「三間梁規制」があったが、役人は違法ともいえず、「日本最古の違法建築」を黙認したという。
釈迦堂 - 1756年の造営。三国伝来と伝える釈迦仏を安置する。
方丈 - 1764年の造営。
書院 附車寄 - 1734年の造営。
玄関 附渡廊下 - 1734年の造営。
鐘楼 - 1628年の造営。
東門 - 江戸時代後期年の造営。朱塗の赤門であることから、寺が「赤門寺」と称せられる。
南門 - 江戸時代前期年の造営。
観光名所
地蔵堂 - 浄土引接地蔵を祀る。
護法堂 - 護法大権現を祀る。
墓地 - 光格天皇皇女の妙心院をはじめ著名な公卿や殿上人の墓が多い。
塔頭 - 長徳院。

歴史

782年~806年
延暦年間、興福寺の賢憬が、唐より請来した釈迦如来像を安置するため一宇を建立したと伝わる。二十五大寺のひとつに数えられた。
平安時代
その後たびたび焼失し、天台僧の良源が再興した。
1276年
後宇多天皇の勅により一条村雲に移り、「村雲寺」とも呼ばれた。
1525年
知恩院の超誉存牛に帰依した後柏原天皇は、念仏三昧堂の勅額を寄せ、浄土宗を兼学とした。
1572年
浄土宗知恩院の末寺となった。
1573~1592年
天正年間、相国寺門前北に移転した。
1615年
現在地に移転した。
江戸時代中期
火災で焼失した。
1733年
現本堂が再建された。
幕末
境内が薩摩藩下級武士の宿所となった。
明治20年
境内に浄福寺幼稚園の前身となる共済学校が開校した。

撮影後記

 言葉が悪いですが、サブタイトルを「日本最古の違法建築本堂」としました。 2011年度の京都非公開文化財特別公開で、そう紹介されていたので、そのように書かせてもらいました。 江戸時代、建物の奥行きを3間以内に抑える規制があったそうです。 そこで、3間以上の奥行きを確保するために、まず2棟の建物を建て、後に増築して1棟につなげ、内部に大広間を確保する手法をとったとのこと。 こうして、外から見るとそれぞれ異なる2棟が建っているように見えるのですが、内部は大広間が広がっているのです。

更新履歴

2013年8月4日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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