建勲神社

織田信長を追賞

明治天皇によって創建された織田信長を主祭神とする神社。豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地である舟岡山に鎮座し、境内からは京都市街の展望がよい。毎年、信長が入洛した10月19日に船岡大祭を執り行う。

建勲神社

建勲神社について

基本情報

社名
建勲神社(たけいさおじんじゃ)
別称
建勲神社(けんくんじんじゃ)、建勲さん(けんくんさん)
創建
明治2年
主祭神
織田信長
社格
別格官幣社、別表神社
例祭
7月1日
駐車場
駐車場なし - 北参道に2~3台分程度駐車スペースあり。
交通機関
建勲神社前バス停下車徒歩3分
住所
京都府京都市北区紫野北舟岡町49

概要

建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、舟岡山に鎮座し、境内からは京都市街の展望がよい。 織田信長を主祭神とし、建勲神社(けんくんじんじゃ)、建勲(けんくん)さんと通称される。 信長公の偉業にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる。 戦国の雄 織田信長公の偉勲を称え、明治3年に信長の子孫である天童藩知事 織田信敏の東京の邸内に建勲社が創建されたのが起源。 明治13年、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地である舟岡山に東京より遷座した。 信長がはじめて入洛した日にちなみ、毎年10月19日に船岡大祭を執り行う。

見所

国重要文化財
紺糸威胴丸 - 織田信長が実際に着用した胴丸。(京都国立博物館寄託)
刀 無銘(義元左文字) - 桶狭間の合戦で用いられたもの。(京都国立博物館寄託)
信長公記 15冊 - 太田牛一自筆本。(京都国立博物館寄託)
国史跡
船岡山 - 標高112メートルで、風致地区舟岡山公園として整備されている。平安京の北の基点となり、真南が大極殿、朱雀大路となった。保元の乱で、源為義一族がここで処刑された。応仁の乱では、山名教之や一色義直らが船岡山城を建築し陣を敷き、後に船岡山一帯は「西陣」と呼ばれるに至る。
国有形文化財
本殿
拝殿
祝詞舎
渡廊
透塀
神饌所
祭器庫
手水舎
貴賓館
社務所
大鳥居 - 府下最大の木造明神型素木造。推定樹齢1200年の紅檜が用いられている。
末社
義照稲荷神社 - 宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神の三柱。秦氏の守護神で、西陣織の祖神。応仁の乱で西軍が陣を敷いた場所。
命婦元宮 - 船岡山の妖狐が祀られている。伏見稲荷大社の元宮。

祭事

夏越祓 - 茅の輪をくぐり、厄除・悪疫退散が行われる。
10月19日
船岡大祭 - 織田信長の上洛の日を記念する大祭。神殿祭後、信長ゆかりの敦盛の舞舞楽奉納があり、年により信長ゆかりの宝物公開や火縄銃三段打の実射がある。
11月23日
お火焚祭 - 今年一年間の収穫に感謝する神事。織田信長の奉斎も執行される。

歴史

1582年
豊臣秀吉が、正親町天皇の勅許を得て、船岡山を織田信長の霊地と定めた。
明治2年
戦国の雄 織田信長公の偉勲を称え、健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。
明治3年
信長の子孫である天童藩知事 織田信敏の東京の邸内に建勲社が造営された。
明治8年
別格官幣社に列せられた。
明治13年
豊臣秀吉によって織田信長の廟所と定められた舟岡山に遷座した。
明治14年
織田信長の子 織田信忠が合祀された。
明治43年
東側山麓から現在の山頂東南側に移建された。

撮影後記

 標高110メートル余りの舟岡山にある神社です。 舟岡山は、五山の送り火の眺望スポットでもあります。 京都市街には他に、東に吉田山、西に双ヶ丘という独立した小山がありますが、調べてみたら全て同じような標高でした。 ただ、麓の標高がどれも海抜50メートル以上なので、それほど高いという印象はありません。 建勲神社も、麓の大鳥居から本殿まで石段が続きますが、高々40メートル程上るだけです。
 なお、所在地は紫野ですが、西陣エリアの小カテゴリに入れました。 今後、紫野カテゴリの大徳寺の塔頭が多くなりそうなのと、舟岡山は西軍が籠城した場所、つまり西陣でもあるので。

更新履歴

2012年2月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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