京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
相国寺の北に鎮座する神社で、下御霊神社に対応することで「上御霊神社」と一般に称される。 もともと付近住民の氏寺であった上出雲寺があったと伝わるが、平安京遷都の際に桓武天皇が、崇道天皇(早良親王)らの怨霊を鎮めるために創祀された。 その後、井上大皇后、橘逸勢らと荒魂である火雷神の合計7柱が合祀された。 平安時代、悪疫退散の御霊会が度々催され、霊社として朝野の崇敬を集めた。 室町時代、境内の杜で畠山政長と畠山義就との私闘があり、応仁の乱の発端ともなったことで知られる。 毎年5月18日の御霊祭では、鉾、神輿、牛車の行列がある。
もともと怨霊を鎮めるために創祀され、平安時代には悪疫退散の御霊会が催されたそうですが、何の因果か、応仁の乱の発端となった「御霊合戦」の地で、なんとも歴史の皮肉な一面を垣間見せてくれます。
祀られた柱の怨霊たちは、尋常ではない御霊だったのかもしれませんね。
ちなみに、西軍が陣を張った西陣はよく知られています。
菅原道真の怨霊を鎮めるために創建された北野天満宮がある辺りです。
東軍が陣を張った東陣はというと、相国寺から上御霊神社あたりだったそうです。
西陣という名前だけが残っているのは、ひとえに西陣織の力によるものでしょう。
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