上御霊神社

応仁の乱の発端地

平安京遷都の際に崇道天皇らの怨霊を鎮めるために創祀された。平安時代、悪疫退散の御霊会が催され、霊社として朝野の崇敬を集めた。また、境内の杜で畠山政長と畠山義就との私闘があり、応仁の乱の発端ともなった。

上御霊神社

上御霊神社について

基本情報

社名
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
別称
御靈神社 - 正式名
創建
794年(延暦十三年)
主祭神
崇道天皇、他部親王、井上皇后、藤原吉子、文屋宮田麿、
橘逸勢、火雷神、吉備真備
旧社格
府社
例祭
5月18日 - 御霊祭
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄鞍馬口駅徒歩3分
京住所
京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495
サイト
上御霊神社末廣神輿

概要

相国寺の北に鎮座する神社で、下御霊神社に対応することで「上御霊神社」と一般に称される。 もともと付近住民の氏寺であった上出雲寺があったと伝わるが、平安京遷都の際に桓武天皇が、崇道天皇(早良親王)らの怨霊を鎮めるために創祀された。 その後、井上大皇后、橘逸勢らと荒魂である火雷神の合計7柱が合祀された。 平安時代、悪疫退散の御霊会が度々催され、霊社として朝野の崇敬を集めた。 室町時代、境内の杜で畠山政長と畠山義就との私闘があり、応仁の乱の発端ともなったことで知られる。 毎年5月18日の御霊祭では、鉾、神輿、牛車の行列がある。

見所

観光名所
本殿 - 1733年に賢所御殿(かしどころごてん)を下賜され、昭和45年に復元したもの。
応仁の乱勃発地の石碑 - 鳥居横に立つ。

祭事

毎月18日
さえずり市(5月除く)
1月1日
歳旦祭
2月節分
節分祭
5月1日
神幸祭(社頭之儀) - 御霊祭のはじまり
5月5日
子供神輿巡行
5月御霊祭
かがり火コンサート
5月18日
還幸祭(神輿渡御) - 新暦の例大祭(御霊祭)。鉾、神輿、牛車の行列。
6月30日
夏越の大祓式 - 茅の輪くぐり
8月18日
例大祭(旧暦)- 小山郷六斎奉納と狂言奉納。
11月18日
火焚祭 - 湯立神楽奉納

歴史

奈良時代
地元豪族の出雲氏氏寺である「上出雲寺」があり、境内に鎮守社の「御霊堂」があった。
794年
平安京遷都の際に桓武天皇が、早良親王らの怨霊を鎮めるために創祀した。
863年
神泉苑で御霊会が催され、六所御霊(早良親王・伊予親王・藤原夫人・藤原仲成・橘逸勢・文屋宮田麿)が祀られたとされる。
1467年
管領の畠山政長と畠山義就との私闘で、政長は自邸に火を放ち当社に陣を敷き、四職家の山名宗全が義就に加勢し、全国の守護大名を巻き込んだ応仁の乱へ発展した。
応仁の乱
兵火で焼失。
明治時代
明治天皇の勅願により祭神五柱が増祀された。

撮影後記

 もともと怨霊を鎮めるために創祀され、平安時代には悪疫退散の御霊会が催されたそうですが、何の因果か、応仁の乱の発端となった「御霊合戦」の地で、なんとも歴史の皮肉な一面を垣間見せてくれます。 祀られた柱の怨霊たちは、尋常ではない御霊だったのかもしれませんね。
 ちなみに、西軍が陣を張った西陣はよく知られています。 菅原道真の怨霊を鎮めるために創建された北野天満宮がある辺りです。 東軍が陣を張った東陣はというと、相国寺から上御霊神社あたりだったそうです。 西陣という名前だけが残っているのは、ひとえに西陣織の力によるものでしょう。

更新履歴

2011年10月17日
初版をアップロードしました。
2012年2月13日
カテゴリを「洛中」から移動しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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