興臨院

畠山氏の菩提寺

臨済宗大徳寺の塔頭で、戦国時代の名君 畠山義総が創建した能登畠山家の菩提寺である。その後、畠山家が没落するが、加賀の前田利家らにより改修が行われた。「興臨院の古門」と知られる表門は、創建当時のもの。

大徳寺興臨院

大徳寺興臨院について

基本情報

院号
興臨院(こうりんいん)
宗派
臨済宗大徳寺派
寺格
大徳寺塔頭
創建
1521年~1528年(大永年間)
開山
小渓紹付 - 大徳寺86世 仏智大通禅師。
開基
畠山義総(はたけやまよしふさ) - 能登畠山氏 第7代当主。
本尊
釈迦如来
駐車場
有料駐車場あり - 大徳寺駐車場利用。
交通機関
大徳寺前バス停下車
住所
京都府京都市北区紫野大徳寺町80

概要

臨済宗大徳寺の塔頭で、能登畠山家の菩提寺である。 戦国時代、能登畠山氏の名君 畠山義総が、畠山家の菩提寺として大徳寺の仏智大通禅師を迎え、自らの法名「興臨院」を号し創建した。 その後、畠山家が没落し堂宇が焼亡するが、加賀の前田利家らにより改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護された。 近年、江戸時代初期の文章が発見され、昭和50年から本堂をはじめ解体復元が行われた。 創建当時のものといわれる表門は「興臨院の古門」として知られ、方丈玄関の唐門は室町時代の禅宗建築が見られ、共に重要文化財に指定されている。 墓地には、畠山家歴代の墓のほか、久我大納言夫妻の墓などがある。

見所

国重要文化財
本堂 附玄関・棟札3枚 - 1533年再建の方丈が、昭和50年の解体復元で蘇った。日本初の床の間といわれる。幕末まで狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていた。手を叩くと反響する鳴き天井。
表門 - 1533年創建当時のもの。「興臨院の古門」と称され、大徳寺でも屈指の古い門。
唐門 - 室町時代の禅宗建築様式がみられる。
椿尾長鳥模様堆朱盆 - 長成作。
観光名所
方丈前庭 - 昭和50年、作庭家 中根金作により復元された。蓬莱形式の枯山水庭園。
涵虚亭(かんきょてい) - 古田織部好みの四畳台目隅板八窓洞床の茶室。
墓地 - 畠山家一族や久我大納言夫妻などの墓。

歴史

1521~1528年
大永年間、能登畠山氏第7代当主 畠山義総が、畠山家の菩提寺として大徳寺86世仏智大通禅師を迎え、自らの法名「興臨院」を号し創建した。
 
その後、畠山家が没落し堂宇が焼亡。
1573-1593年
天正年間、加賀の前田利家らにより改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護された。
昭和50年
表門・唐門を除く境内の解体復元修理が開始された。

撮影後記

 大徳寺の駐車場から総門をくぐり、まっすぐ進んだところにある塔頭です。 通年公開塔頭ではありませんが、例年、春5月頃と秋11月頃に特別公開されるようです。 興味のある方は、その時期に訪問されると宜しいかと思います。 重文の表門と唐門は、外側からでも見ることができます。

更新履歴

2012年2月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを西陣・室町・紫野から移動しました。
2015年10月26日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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