八瀬天満宮社

赦免地踊

八瀬の産土神。少年時代の菅原道真が自己研鑽のため、比叡山に登るたびに休息していた場所と伝わる。毎年体育の日の前日、女装した男たちが紙で作った切子燈籠を被り踊り明かす「八瀬赦免地踊」が奉納される。

八瀬天満宮社

八瀬天満宮社について

基本情報

社名
八瀬天満宮社(やせてんまんぐうしゃ)
別称
天満宮社、八瀬天満宮
創建
平安時代
主祭神
菅原道真
旧社格
村社
例祭
5月5日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
ふるさと前バス停すぐ
住所
京都府京都市左京区八瀬秋元町639

概要

八瀬の産土神。 若き菅原道真が自己研鑽のため、比叡山に登るたびに休息していた場所で、道真の没後、比叡山の阿闍梨尊意(そんい)が、勧請して創建したと伝わる。 南北朝時代、八瀬村の民たちは、後醍醐天皇を足利尊氏の軍勢から逃れるため比叡山に登るのを守護したといわれ、その功績により、八瀬村では代々地租免除の倫旨を与えられた。 江戸時代になると八瀬村と比叡山との境界争いが起こり、地租免除の恩典を奪われるが、老中 秋元喬知の働きかけにより、村人の権利を再び守る裁定を下された。 以来、恩恵を受けた秋元喬知を祀る秋元社の例祭で「八瀬赦免地踊」が奉納される。 これは、女装した男たちが紙で作った切子燈籠を被り踊り明かし、市の無形民俗文化財に指定されている。

見所

観光名所
本殿 - 背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られている。
弁慶の背比べ石 - 比叡山から降りた弁慶が、この石で背比べしたといわれる。
菅公腰掛石 - 若き菅原道真が、自己研鑽のため八瀬坂から比叡山に登るたびに、この石に腰かけて休息したといわれる。
御所谷碑 - 南北朝時代、八瀬村の村民たちは、後醍醐天皇を足利尊氏の軍勢から逃れるため比叡山に登るのを守護した。その行在所の碑。
摂末社 - 秋元社(八瀬村の村民が恩恵を受けた但馬守 秋元喬知を祀る)、八幡宮、幸社、山王社、十禅師社、若宮社、六所社、白井社、三社(岩上社、貴船社、白髭社)。

祭事

5月5日
例祭
10月10日
燈篭祭(八瀬赦免地踊) - 秋元神社例祭。女装した男たちが紙で作った切子燈籠を被り踊り明かす。市の無形民俗文化財に指定されている。

歴史

平安時代
若き菅原道真が自己研鑽のため、八瀬坂から比叡山に登るたびに休息していた場所で、道真の没後、比叡山法性房の阿闍梨尊意が、勧請して創建したと伝わる。江戸時代までは「矢背天神宮」とも呼ばれた。
1336年
八瀬村の民たちは、後醍醐天皇を足利尊氏の軍勢から逃れるため比叡山に登るのを守護したといわれる。その功績により、八瀬村では、代々地租免除の倫旨を与えられた。
1710年
八瀬村と比叡山との境界争いが起こり、地租免除の恩典を奪われるが、老中 秋元喬知の働きかけにより、村人の権利を再び守る裁定を下された。

撮影後記

 八瀬の氏神さまです。 市街から大原に向かう途中にサークルKがありますが、その少し手前の山麓の木立に隠れるように社殿が鎮座しています。
 この辺りは八瀬秋元町というようです。 江戸時代、八瀬村と延暦寺との境界争いが起こったときに、禁裏御料として村人の権利を守る裁定を下してくれた幕府老中の秋元喬知に由来しているのでしょう。

更新履歴

2012年6月30日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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