若宮八幡宮

陶器神社

源頼義邸内に石清水八幡宮の若宮として祀ったのが起源。都の八幡神として源氏や足利将軍家から崇敬され、洛中で祇園社、北野社に次ぐ規模であった。戦後、陶祖神が合祀され、「陶器神社」として陶器市が催される。

若宮八幡宮

若宮八幡宮について

基本情報

社名
若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)
別称
六条左女牛八幡宮、陶器神社
創建
1053年(天喜元年)
主祭神
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
旧社格
郷社
例祭
8月8日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
五条坂バス停徒歩3分
住所
京都府京都市東山区五条橋東五丁目480

概要

天喜元年(1053年)、後冷泉天皇の勅願で、左女牛西洞院(六条醒ヶ井)の源頼義邸内に石清水八幡宮の若宮として祀ったのが起源。 「六条八幡」「佐女牛八幡」とも称され、都の八幡神として源氏や足利将軍家から崇敬され、洛中で祇園社、北野社に次ぐ規模であった。 応仁の乱で荒廃し、豊臣秀吉の京都改造政策により三遷され現在地に落ち着いた。 昭和24年に相殿に陶祖神が合祀され、「陶器神社」とも呼ばれる。 8月7日~10日には五条坂一帯で盛大な陶器市が催される。

見所

市文化財
本殿 - 1654年の造営。三間社流造の正面庇を取り込んで前室とする京都では珍しい形式。
若宮八幡宮社関係資料 - 特に「足利将軍参詣絵巻」は、足利将軍の社参を絵画化したものとして貴重。
観光名所
蓬莱石 - 足利尊氏が病気平癒を祈願したところ完治したことから、珍宝七種を献上されたもののひとつと伝わる。
孝明天皇御胞衣埋納所の石標 - 孝明天皇の胞衣(胎盤)を埋納した場所。かわらけに胞衣を入れ、吉方の土中に埋める慣わしがあった。
清水焼発祥地五条坂の石碑 - 慶長年間(1596年~1615年)に五条坂で開窯にされたといわれる。
八幡太郎義家誕生地の石碑 - 源義家が誕生した源頼義の屋敷跡。
榊の木 - 縁結びの神の御神威によって2本の木が一本に結ばれた御神木。
末社 - 安房天満宮、陶祖社、秋葉社、稲荷社、竹生島社、産霊社、蛭子社、祖霊社。

祭事

2月4日
左女牛の神事 - 左女牛の井戸の御神水を青竹に入れ、神前に供えて不老長寿を祈願する。
8月7~10日
若宮祭・陶器まつり - 清水焼の陶器市に併せて陶磁業者が集まり五条坂一帯で盛大な陶器市が催される。

歴史

1053年
後冷泉天皇の勅願で、左女牛西洞院(六条醒ヶ井)の源頼義の邸内に石清水八幡宮の若宮として祀った。
鎌倉時代
源頼朝は大江広元の弟を別当職に任じ、源氏の氏神として崇敬を受けた。
室町時代
足利将軍家から石清水八幡宮に次ぐ幕府の宗祀と崇められ、洛中で祇園社、北野社に次ぐ規模であった。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1584年
豊臣秀吉の京都改造政策により、御旅所のあった東山に遷座され、旧鎮座地は本願寺の寺域となった。
1588年
方広寺の北に遷座された。
1605年
豊臣秀吉の死後、現在地に三遷された。
1654年
後光明天皇により現本殿が造営された。
昭和21年
神社本庁に参加しない神社本教の本部が置かれた。
昭和24年
相殿に陶祖神の椎根津彦命が合祀された。

撮影後記

 京都には、神社本庁に包括されない神社本教(若宮八幡宮、地主神社、野宮神社、六孫王神社、乃木神社など)という宗教法人があり、当社にその本部が置かれています。 京都府の官国幣社の数は20社(石清水八幡宮、下鴨神社、上賀茂神社、平野神社、松尾大社、平安神宮、八坂神社、白峯神宮、伏見稲荷大社、大原野神社、北野天満宮、貴船神社、吉田神社、梅宮大社、護王神社、建勲神社、豊国神社、梨木神社、籠神社、出雲大神宮)もあります。 他府県と比較して、民社に対する官社の神職の割合が多いのです。 こうした特殊な事情があったため、戦後、官社と民社の神職の結束が図れず、神社本庁、神社本教、そして単立を選んだ3つの勢力に分立することとなった次第です。

更新履歴

2015年1月12日
初版をアップロードしました。

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