京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
黒谷にある「紫雲山」と号する浄土宗の大本山で、「くろ谷」と通称される。 承安5年(1175年)、法然上人が比叡山黒谷を下り、石に腰をおろし念仏を唱えると紫雲が棚引き、此の地に初めて庵を結んだというのが縁起となっている。 当地は法然の師 叡空が住した比叡山黒谷の所領「白河禅房」で、叡空が法然に白河禅房を与え、念仏道場としたのが起源である。 鎌倉時代後期、第5世 恵顗のときに堂宇が整備され、法然の縁起から「紫雲山 光明寺」と称し、第8世運空が後光厳天皇から「金戒」の文字を下賜され、「金戒光明寺」とした。 江戸時代初期に城郭構造に改修され、幕末には京都守護職 松平容保率いる会津藩の本陣となった。 山内には重文の文殊塔や豊臣秀頼により再建された阿弥陀堂などが建ち、18ヶ寺の塔頭が甍を並べている。
平安神宮の北東、真如堂の南側にある「くろ谷」。 京都の浄土宗寺院では知恩院と双璧を成す大伽藍が広がっていますが、実は徳川幕府によって、危急の際に軍隊が配置できるようにと、両寺をそれとわからないように城構えとしたのだそう。 小高い丘で天然の要塞になっている黒谷からは、淀のあたりまで見渡せます。 そして数多くの塔頭(宿坊)があり、千名の軍隊も駐屯できたといわれます。 そういったことから、幕末に京都守護職が本陣として選んだと考えられています。
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