伏見桃山陵

明治天皇御陵

豊臣秀吉の築いた伏見城本丸跡に営まれている明治天皇の陵墓。隣接して昭憲皇太后の伏見桃山東陵が並んでいる。古式に範を採ったとされる、さざれ石葺の上円下方墳で、火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻された。

伏見桃山陵

伏見桃山陵について

基本情報

名称
伏見桃山陵(ふしみももやまりょう(のみささぎ))
別称
明治天皇御陵
指定
宮内庁治定
駐車場
駐車場なし
交通機関
桃山駅徒歩15分
所在地
京都府京都市伏見区桃山町古城山
サイト
宮内庁天皇陵

概要・歴史

豊臣秀吉の築いた伏見城本丸跡に営まれている明治天皇の陵墓。 東西127m、南北155mに及び、隣接して昭憲皇太后の伏見桃山東陵が並んでいる。 明治45年7月30日に崩御され、現在の神宮外苑にて大喪の礼後、9月15日に埋葬された。 古式に範を採ったとされるさざれ石葺の上円下方墳で、火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した。 明治天皇の遺言から京都に御陵が営まれ、西日本では最後の天皇陵である。

見所

宮内庁治定
伏見桃山陵 - 明治天皇陵墓。高さ6m、さざれ石葺の上円下方墳で、火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した。
伏見桃山東陵 - 明治天皇皇后である昭憲皇太后陵。明治天皇陵と同形。

撮影後記

 伏見桃山城の模擬天守のある運動公園の南に営まれている広大な天皇陵です。 八王子にある昭和天皇の武蔵野陵より広いような感じで、京都で一番広大な天皇陵ではないでしょうか。 参道には玉砂利が敷かれ、長い石段をてっぺんまで登ると、南面の眺望がききます。 付近には、桃山の地とは縁も薄いであろうと思われる桓武天皇の柏原陵もあります。 現在の柏原陵は、中世の動乱期から伏見城の増築によって原型が失われた後のもので、オリジナルの柏原陵の位置はよくわかっていません。

更新履歴

2012年8月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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