黄梅院

小早川隆景

臨済宗大本山大徳寺の塔頭で、小早川隆景の帰依を受けて堂宇が整備され、小早川氏宗家の毛利氏に護持されてきた。本堂や庫裡などは、小早川隆景によって建立された桃山時代のもので、国の重文に指定されている。

黄梅院

黄梅院について

基本情報

寺号
黄梅院(おうばいいん)
宗派
臨済宗大徳寺派
寺格
大徳寺塔頭
創建
1562年(永禄五年)
開山
春林宗俶 - 大徳寺98世。
開基
織田信長
本尊
釈迦如来
駐車場
有料駐車場あり - 大徳寺駐車場利用。
交通機関
大徳寺バス停徒歩5分
住所
京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1

概要

臨済宗大本山大徳寺の塔頭である。 1562年(永禄5年)、織田信長が父 信秀の追善供養のため、大徳寺98世 春林宗俶を請じて「黄梅庵」が建立されたのが始まりである。 その後、大徳寺112世 玉仲宗琇が住持となり、毛利元就の三男 小早川隆景の帰依を受けて堂宇が整備され、「黄梅院」と改められた。 小早川氏の宗家の毛利氏に護持され、院内には小早川隆景、蒲生氏郷などの墓塔がある。 方丈や庫裡などは小早川隆景の寄進によって建立された桃山時代のもので、国の重文に指定されている。

見所

国重要文化財
本堂 - 1588年に小早川隆景の寄進により建立された方丈。
唐門 - 本堂と同時期に建立された玄関。
庫裏 - 1589年に小早川隆景の寄進によって建立された。禅宗寺院の現存庫裏としては日本最古。
紙本墨画竹林七賢図 襖貼付16面 - 毛利家御用絵師である雲谷等顔の筆。(京都国立博物館寄託)。
紙本墨画芦雁図 襖貼付14面 - 雲谷等顔の筆。(京都国立博物館寄託)。
紙本墨画山水図 襖貼付14面 - 雲谷等顔の筆。(京都国立博物館寄託)。
観光名所
表門 - 小早川隆景により建立された。
鐘楼 - 梵鐘は1592年に加藤清正により寄進されたもので、朝鮮伝来のものと伝わる。
書院 - 武野紹鴎好みと伝わる4畳半の茶室 昨夢軒が組み込まれている。
直中庭 - 書院南庭。千利休62歳の時に作庭されたと伝える苔庭の枯山水で、豊臣秀吉の希望による瓢箪を象った枯池が配され、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている。
破頭庭 - 本堂前庭の白砂による大海を表した枯山水で、天正年間に作庭されたといわれる。
作仏庭 - 本堂の北裏側にある生々流転を表した枯山水で、破頭庭へとと注いでいる。
墓地 - 小早川隆景、蒲生氏郷、冬姫(信長二女)、小田海遷(江戸時代の南画家)、雲谷友雪(江戸時代の画家)など。

歴史

1562年
織田信長が父 信秀の追善供養のため春林宗俶を請じて「黄梅庵」が創建された。
1582年
本能寺の変により信長が急逝し、秀吉は信長の塔所として改築したが、小庵であったため、大徳寺山内に総見院を創建した。
1588年
小早川隆景の帰依を受けて堂宇が整備され、「黄梅院」と改められた。
江戸時代
小早川氏宗家の毛利氏に護持された。

撮影後記

 錦秋の時期、高桐院ほど有名ではありませんが、大徳寺山内ではそれに勝るとも劣らない庭園を持っている隠れた紅葉スポットです。 毎年、この時期には特別公開されます。 ただ残念ながら、大部分が撮影禁止ということで、お見せすることはできません。 お近くの方は、ご自身の肉眼でお楽しみください。
 ちなみに梅の名所というわけではなく、中国の破頭山東禅寺がある黄梅県に由来しているとのことです。

更新履歴

2015年1月26日
初版をアップロードしました。

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