京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
西陣にある法華宗真門流の総本山。 正式な寺号は「本妙興隆寺」だが、略して「本隆寺」と通称される。 1488年、法華経の解釈で妙顕寺より分かれ、日真によって四条大宮に創建されたのが起源。 天文法華の乱で焼失し、その後、西陣に再建された。 本堂と祖師堂は、「西陣焼け」「天明の大火」の大火から鬼子母神の霊験によって焼失を免れたとして、「焼けずの寺」とも称された。 この2棟は、京都府指定有形文化財に登録されている。
西陣中央小学校の北西、雨宝院の南隣に建つ寺院です。 大伽藍で、本堂と祖師堂を取り巻くように八支院もの塔頭が立ち並んでいます。 境内の墓地には、江戸時代初期の医者であった黒川道祐をはじめ黒川家の墓石が窮屈そうに集まっています。 広島藩浅野家の御典医として勤め、辞した後、京都に住して、本草家の貝原益軒と交友したそうです。 彼の著書「雍州府志」は、山城国を中国の雍州に準え、地理風土から寺社仏閣、さらに特産物なども事細かに著した全10巻の書物。 今でいえば、京都のガイド本の先駆けともいえるのかもしれません。
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