朝日将軍木曽義仲公手植桜

二代目

以仁王より平家追討の令旨を賜った木曾義仲は旗挙をし、ここ西洗馬に達した。このとき、平家討伐を祈願し薬師堂の傍らに桜を手植えしたと伝わる。その後、明治34年に枯死してしまい、現在の桜は二代目である。

朝日将軍木曽義仲公手植桜

朝日将軍木曽義仲手植桜について

撮影後記

 先代の桜は樹齢721年とも云われる古桜だったそうですが、現在のサクラはまだ樹齢100年余りということもあって、村の天然記念物には指定されていません。 それでも、エドヒガンとしては、まだ老桜というほどではないので樹勢も盛んで、苔生した薬師堂と相まって見事なサクラです。 村役場の職員の方も撮影に来ていました。
 また、隣接する光輪寺の門前には何本かのサクラが風に靡き、こちらも素敵でした。 後から調べてわかったのですが、本堂の裏側には「光輪寺の枝垂れ桜」と呼ばれる銘桜があったそうです。 他にも行く場所があったので、お寺にはお邪魔しませんでした。 ギャラリーに掲載した「信州の春」に少しだけ写っています。 ただ、残念ながら昨年に幹の一部が折れてしまったそうです。
 ちなみに朝日将軍(旭将軍)といのは、源義仲の別称で「平家物語」においてそう称されています。 朝日村と関係があるのかと調べてみたら、村名の由来が「朝日が一番先にあたること、旭日のように輝かしく発展することを祈念して」ということから関係がないようでした。 単に朝日村と朝日将軍をダブらせたようです。 この村のサクラのネーミングは「斉藤氏共同墓地のシダレザクラ」もそうですが長いです。

概要・歴史

治承4年(1180年)以仁王より平家追討の令旨を受けた木曾義仲は、木曾において平家追討の旗挙をし、鳥居峠、烏帽子岳を経て朝日村西洗馬に達した。 このとき、弘仁年間に弘法大使が草庵に祀った古薬師を移し、新たに堂宇を建立し平家討伐を祈願したのが薬師堂であり、そのとき桜の若木を義仲自らお手植えしたと伝わる。 桜はその後、幹周8.4メートルの大木に生長したが、721年後の明治34年に枯死してしまった。 現在の桜は、そのとき植え替えられた二代目の桜である。 見頃は、例年4月下旬頃。

住所: 長野県 東筑摩郡朝日村西洗馬729

更新履歴

2011年9月2日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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