さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
伊那市狐島の天竜川左岸の田園に自立している推定樹齢200年余のエドヒガンザクラ。 江戸時代、天竜川の川筋における狐島村と対岸である荒井村・西町村の村界を定める測定基点として存置された基準木である。 "あばれ天竜"と異名をとった天竜川は、江戸時代に洪水の旅に本流は蛇行して90回も洪水や満水を繰り返し、本流は今より西側を流れていた。 延享元年(1744年)の大洪水で荒井村との境界であった桜島を流失させたのを機に、狐島村と荒井村・西町村の絵図が作製され、以後天竜川の川筋における村界争いの判断の基本となった。 狐島村の基点が古町村界儀右門社塚から下新田界の冷田井と道との四ツ辻までに八ヶ所記され、見通し桜はその中のひとつ「長衛門社木桜」として記されている。 一方、対岸基点は荒井村に二カ所、西町に三カ所記されている。 見通し桜の対岸の基準木は伊那部宿の北にある伯先桜と言われ、対岸を「見通す」測量の基点となっていた。
天竜川の左岸の田園と住宅地が半在する野原に自立している名桜です。 この場所は小高い場所という意味の高穂田(たかぼた)という古名が残っています。 天竜川が氾濫しても流されない場所を選んで植えられたとのこと。 現在の天竜川の河床は昭和45年の国道153 号線の完成により定着したもので、明治初期までは今より西側を流れていたようです。
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