さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
下伊那郡高森町下市田を流れる間ヶ沢近くの路傍に一本のエドヒガンザクラの大木が自立している。 この地籍にはかつてお堂があり、付近に数本の桜の大木があったことから、「桜堂」と屋号で呼ばれていた。 天正十六年(1688年)この地を治めていた松岡氏が断絶した際に家臣であった羽生筑後守が此処に帰農して沢沿いに桜木を植えたと伝わる。 その後三代目の長右衛門の時代の延宝八年(1660年)に山津波で屋敷が流されてしまった。 この桜はその名残の一本であると言い伝えられている。
一本桜の北西側の河岸段丘上に松岡氏の居城であった松岡城址があります。 戦国時代の騒乱を上手く乗り切ってきたのですが、終盤の抗争には抗えず断絶してしまいます。 そういった経緯で、城下の此の地に帰農してきたものと思われます。 下市田地区のエドヒガン群は、羽生氏が植えたものの子孫なのかもしれませんね。
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