多聞院

熊野神社の別当寺

真言宗大覚寺派の寺院で、かつて北鎌倉にあった観蓮寺を大船のこの地に移し、熊野神社を管理する別当寺として甘糟氏が創建したと伝わる。本尊の毘沙門天は別名「多聞天」とも云われ、これが院号の由来である。

多聞院

多聞院について

撮影後記

 小じんまりしていますが、緑青が葺いた銅葺き屋根が素敵なお寺さん。 門前に祀られている庚申塔は、鎌倉では珍しい四手で、他に西御門だけで見られるのみだそうです。
 創建については定かではないのですが、縁起によれば、北鎌倉の八雲神社の別当寺であったとされる由緒ある古刹です。 その名残は、今でも北鎌倉で見ることができます。 八雲神社の境内と浄智寺の踏切を渡った右側にある「晴明石」、山ノ内の十王橋近くの民家にある「晴明の加持水の井戸」のふたつ。 平安時代の陰陽師・安倍晴明の伝説が伝わるものです。 かつてこれらは、多聞院が所有していたという記録が残っています。

概要・歴史

山号を天衛山とする文明年間(1469年~1487年)に創建された真言宗大覚寺派の寺院。 寺号は福寿寺だが院号の多聞院で呼ばれる。 開山は南介(伝)、開基は甘粕長俊(伝)、本尊は毘沙門天。 文明年間(1469年~1487年)、山ノ内瓜ヶ谷に観蓮寺を創建したのが起源と伝わる。 永享の乱での兵火で焼失した観蓮寺を、大船の領主であった甘粕氏が当地に移し、1579年に南介僧都を迎えて熊野神社を管理する別当寺として創建したと伝わる。 本尊の毘沙門天は北方の守護神で、別名「多聞天」ともいわれ、これが院号の由来。 巣鴨の「とげ抜き地蔵」を移した地蔵があることでも知られている。

住所: 神奈川県 鎌倉市大船2035

更新履歴

2011年8月22日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

多聞院紀行のコメント

コメント欄

多門院の辺りをお散歩するのが好きです。裏山の切通しは、何と言う名前なのですか?
よろしかったら、教えてください。

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

京都

京都紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野