龍口寺

龍ノ口法難跡

日蓮が処刑されそうになった「龍ノ口法難跡」に建つ1337年創建の日蓮宗本山。明治16年頃までは住職を置かず、片瀬・腰越の八つの寺が輪番に入寺し霊跡を守ってきた。毎年9月の「龍口法難会」では賑わいを見せる。 

龍口寺

龍口寺について

基本情報

山号寺号
寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)
別称
竜口寺、片瀬のお祖師様(おそっすさま)
宗派
日蓮宗
寺格
本山(霊跡本山)
創建
1337年(延元二年/建武四年)
開基
日法(にっぽう)
本尊
日蓮聖人像
札所
日蓮上人霊跡
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
湘南モノレール湘南江の島駅徒歩3分、江ノ電江ノ島駅徒歩3分
住所
神奈川県藤沢市片瀬3丁目13-37
サイト
龍口寺公式サイト

概要

龍ノ口法難跡に建つ日蓮宗本山。 龍ノ口のこの地はかつて刑場跡で、「立正安国論」などで幕府の政策を批判したと見なされた日蓮が処刑されそうになった霊跡である。 寺伝では、弟子の日法が1337年に草庵を結び、自作の日蓮像を安置したのが始まりと伝わる。 また、日蓮の直弟子の六老僧の誰かが建てたという説も存在する。 その後、慶長年間に地元津村の島村采女が土地を寄進し、日尊によって祖師堂が建てられ、本格的な寺院として整えられたという。 明治16年頃までは住職を置かず、山号を龍口山とする片瀬・腰越の八つの寺が順番に入寺し霊跡を守ってきた(龍口寺輪番八ヶ寺)。 毎年9月に行われる「龍口法難会」では、万灯が奉安され、門前には夜店も立ち並び、賑わいを見せる。

行事

毎月第三日曜日
湘南・龍ノ口骨董市
正月三ヶ日
初詣・特別加持祈祷会
2月3日
節分会
2月15日
釈尊涅槃会
2月16日
宗祖降誕会
4月第一日曜日
花まつり千部会
5月19日
七面大明神大祭
7月17日
ほうろく灸祈祷会
7月海の日
龍の口竹灯籠
7月25日
施餓鬼会
8月27日
(片瀬諏訪神社例大祭) - 片瀬の山車、屋台、神輿が門前に集結する。
9月11日
仏舎利塔平和記念法要
9月11~13日
龍口法難会 - 万灯練供養と大法要が営まれ、参拝者に難除け牡丹餅が振舞われ大変賑わう。
11月中
七五三成育祈願
11月21日
宗祖報恩会式
12月23日
星祭り祈祷会
12月31日
除夜の鐘点打式

歴史

1271年
日蓮が鎌倉幕府の命で、この地で処刑されそうになった。(龍ノ口法難)
1337年
弟子の日法が、この地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という草庵を建て、自彫の祖師像と首敷皮(敷皮石)を安置したのが始まりと伝わる。
室町時代
当初は「龍口院」と呼ばれていたが、戦国時代には「龍口寺」と呼ばれていた。
1601年
津村の国人で篤信者であった島村采女が土地を寄進して、日尊によって祖師堂が建てられた。
1832年
祖師堂が本堂と改築された。
明治16年
片瀬腰越八ヶ寺による輪番制が廃止され、専任住職が入寺した。
明治43年
五重塔が建てられた。
昭和元年
信州松代藩の藩邸を移築し大書院が建てられた。
昭和45年
仏舎利塔が建てられた。

撮影後記

 日蓮の三大法難(四大とも)の中でも、最後にして最大のピンチに陥った場所に建つ大寺院です。 伝説では、日蓮が目をつぶり御題目を唱えると、首切り役の武士が刀を振り上げた瞬間、闇夜にも関わらず江ノ島の方から閃光が走り、太刀取りは目をくらまし刀は折れ、周囲の人間は皆逃げてしまったそうです。 これを聞いた鎌倉の時宗は、日蓮の処刑を中止したという伝説。 法華経信者が聖人にカリスマを持たせるため仕組んだとか、大きな流星が落下したとかあるようですが、実際は、なぜ日蓮の処刑が中止になったか気になるところです。
 現在は藤沢市になりますが、鎌倉時代、この辺り一帯は龍ノ口刑場と呼ばれる処刑場で、「一遍上人絵巻物」からも腰越に属していたと考えられています。 以前掲載した常立寺もそうですが、藤沢より鎌倉の歴史に深くかかわっている場所であり、鎌倉特集に掲載してあります。 また、深沢から龍ノ口に至る山が、峰が五つ谷が四つで、江ノ島の弁財天と結び付けて、五頭龍伝説を生んだ地とも伝わります。

更新履歴

2011年10月2日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月1日
登録カテゴリを湘南モノレール沿線から移動しました。

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