龍口明神社

鎌倉市内随一の古社

津の鎮守。552年、江ノ島弁財天の霊感に降伏した深沢に住む五頭龍を祀ったのが始まりで、鎌倉市内随一の古社とされる。江の島弁財天とは夫婦の関係にある。旧鎮座地は龍口寺西隣で、昭和53年に現在地へ遷座した。

龍口明神社

龍口明神社について

基本情報

社名
龍口明神社(りゅうこうみょうじんじゃ)
創建
伝552年(欽明天皇十三年)
主祭神
玉依姫命、五頭龍大神
旧社格
村社
例祭
10月上旬の土日曜日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
湘南モノレール西鎌倉駅徒歩5分
住所
神奈川県鎌倉市腰越1548-4
サイト
龍口明神社

概要

津の鎮守。 祭神である五頭龍大神は、江の島弁財天に悪業を戒められた深沢に住む龍であるといわれ、江の島弁財天とは夫婦の関係にある。 552年(欽明天皇十三年)、江ノ島弁財天の霊感に降伏した、五頭龍を祀ったのが始まりと伝わり、鎌倉市内随一の古社とされる。 旧鎮座地は五頭龍の龍口にあたる龍口寺西隣であった。 1773年(安政二年)に龍口が片瀬村に編入され、津村の飛び地として現在まで扱われてきた。 昭和53年に、氏子の要望により、氏子の里で江の島を遠望し龍の胴にあたる現在地へと遷座した。 例祭では江ノ島まで神輿渡御が行われ、60年に1度の大祭では、五頭龍像を鎮座した神輿を渡御させる。

見所

観光名所
社殿 - 昭和53年に、氏子の要望により、氏子の里で江の島を遠望し龍の胴にあたる現在地へと遷宮された。
社殿(旧鎮座地) - 昭和8年に改築しされた拝殿や鳥居なども、遷宮前の姿で残されている。
経六稲荷社 - 末社。毎年二月には初午祭が斎行される。
石塔 - 県道304号腰越大船線沿いにあった庚申塔などが、道路拡張に伴い境内に移された。

祭事

毎月1・15日
月次祭
1月1日
元旦祭
2/17直近日曜
祈年祭
6月30日
大祓
10月上旬土曜
例祭(前日祭)
10月上旬日曜
例祭(神幸祭) - 江ノ島まで神輿渡御が行われる。60年に1度の大祭(昭和4年、平成元年)では、五頭龍像を鎮座した神輿を渡御させる。
11/23直近日曜
新嘗祭
12月31日
大祓

歴史

552年
五頭龍大神を祀るため、龍口山の龍の口に当たるところに社を建て、「子死方明神」や「白髭明神」と称したと伝わる。
723年
江の島岩窟中で修行中の泰澄・慈覚両大師が、夢枕に現れた神々を木に刻み、弁財天は江島明神へ、玉依姫命と五頭龍大神の木像を白鬚明神へ納め「龍口明神社」としたと伝わる。
1282年
国宝「一遍上人絵伝」に、一遍が龍の口にて念仏勧化を行った様子が描かれている。
1773年
龍口が片瀬村に編入され、境内地のみ津村の飛び地として扱われた。
大正12年
関東大震災により社殿が全壊した。
昭和8年
社殿が再建された。
昭和22年
片瀬町が藤沢市へ編入され、境内地が鎌倉市の飛び地となった。
昭和53年
氏子の要望により、氏子の里で江の島を遠望し龍の胴にあたる現在地へと遷座した。

撮影後記

 「江ノ島縁起」では、その昔、深沢にあったとされる湖に五頭竜が住み、津村に出没しては十六人もの子供を食らったといいます。 552年、相模湾に弁財天が天から舞い降り、あまりの美しき神々しさに、五頭龍は心を奪われ、結婚の申し出をします。 弁財天は結婚の約束と引き換えに、五頭龍に悪行をやめさせたといいます。 これが江嶋神社と龍口明神社が夫婦神社と呼ばれる縁起です。 また、深沢から腰越にかけての丘陵地が五頭龍に見えることから、五頭龍が山に姿を変えてできたともいわれ、天女の天下りで海底から突如出現した島が、現在の江ノ島となっています。

更新履歴

2014年11月1日
初版をアップロードしました。

龍口明神社紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

京都

京都紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野