大仏切通

鎌倉七口

常盤・笛田・長谷の境界にある切通しで、鎌倉地域と深沢地域を結ぶ。鎌倉七口のひとつで、国の史跡に指定されている。現在の姿は、明治12年の開削工事のもので、大正8年には大仏トンネルが開通して廃道になった。

大仏切通

大仏切通について

基本情報

名称
大仏切通(だいぶつきりどおし)
別称
大仏坂切通
指定
国史跡
駐車場
駐車場なし
交通機関
火の見下バス停から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市笛田・常盤・長谷

概要

笛田・常盤・長谷の境界にある切通しで、鎌倉地域と深沢地域を結ぶ古道。 鎌倉七口のひとつ。 「大仏切通」として国の史跡に指定されている。 他の切通の開削時期との関係から、仁治二年(1241年)から建長二年(1250年)頃に整備されたものと考えられている。 初見は江戸時代初期で、元禄16年(1703年)の大地震では大仏坂を十二間(約58m)崩壊させたとある。 現在の姿は、明治12年から翌年にかけて行われた開削工事のもので、五丁(約545m)の山道を三丈(約9m)切り下げて人力車を通すようにしたもの。 大正8年には大仏トンネルが開通して、旧道は廃道になった。

見所

国史跡
大仏切通 - 常盤・笛田・長谷の境界にある切通しで、鎌倉地域と深沢地域を結ぶ。鎌倉七口のひとつ。深沢側には、平場、やぐら跡、切岸などが状態良く保存されている。

歴史

1241~1250年
仁治2年から建長2年頃に開削されたものと考えられている。
1333年
鎌倉攻めの新田義貞は、三手に分かれた洲崎(深沢地域)の中央軍の指揮を執り、大仏切通を目前にしての大激戦となった。
1703年
大地震で十二間(約58m)崩壊した。
明治12年~13年
開削工事で、人力車を通すようにされた。
大正8年
大仏トンネルが開通して、旧道は廃道になった。
昭和52年
国の史跡に指定された。

撮影後記

 大仏切通という名称ですが、長谷側は大仏トンネルが作られたため山が切り崩され、大仏のある長谷側よりも深沢側の方が、付近に造られた平場や、やぐら跡、切岸などが状態良く保存されています。 崩落の危険個所もあるので、ハイキングコースが一部不通になっている箇所もあります。 江戸時代に経路が変更されたおかげで、大規模な破壊を免れて、鎌倉古道の面影を今によく残している鎌倉七切通しのうちのひとつです。

更新履歴

2014年10月28日
初版をアップロードしました。

大仏切通紀行のコメント

コメント欄

今度鎌倉行きまーす
がんばりまー
お前らもガンバ〜レー

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

京都

京都紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野