成就院

紫陽花の名所

「極楽寺坂切通し」に位置する真言宗大覚寺派の寺院。弘法大師が、この地で護魔を修し、1219年、北条泰時が創建したと伝わる。参道の両側には262株のアジサイが植えられ、鎌倉指折のあじさいスポットとして名高い。

成就院

成就院について

基本情報

山号寺号
普明山法立寺成就院(ふみょうざんじょうじゅいん)
宗派
真言宗大覚寺派
創建
1219年(承久元年)
開山
伝 弘法大師
開基
伝 北条泰時
本尊
不動明王
札所
鎌倉三十三観音霊場 21番、新四国東国八十八箇所 83番
駐車場
駐車場なし
交通機関
江ノ電極楽寺駅徒歩5分
住所
神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目1-5
サイト
成就院

概要

鎌倉七口のひとつ「極楽寺坂切通し」に位置する真言宗大覚寺派の寺院。 弘法大師が、この地で数日間に渡り護摩供養・虚空蔵菩薩求聞持法を修したと伝わり、1219年、かの地に北条泰時が創建したという。 鎌倉時代、鎌倉防衛の要衝でもあった極楽寺切通にあったことから「泰時の物見寺」 とも称された。 新田義貞の鎌倉攻めの兵火で焼失し、江戸元禄年間に旧地に再興された。 参道の両側にはアジサイが植えられ、鎌倉指折のあじさいスポットとして名高い。

見所

観光名所
本堂 - 1856年の建立。
山門 - 江戸時代後期の建立。
参道 - 煩悩の数である108段の石段両側には般若心経の文字数262株の紫陽花が植えられ、鎌倉屈指のあじさいスポットとして名高い。参道からは由比ヶ浜や材木座海岸が望める。
不動明王像 - 本堂前に立つ。本尊の不動明王像は縁結びの御利益があり、その分身像。パワースポットとして人気がある。
文覚上人荒行像 - 「日本のロダン」とも称された彫刻家 荻原守衛の作品に影響を与えたといわれる像。
虚空蔵堂 - 成就院が管理している。本尊の虚空蔵菩薩は行基作とされ、星ノ井伝説がある。1・5・9月の13日に開帳され、1月13日の「護摩焚き供養」は賑わう。境内には漁業関係者の信仰を集める舟守地蔵がある。
星ノ井(星月ノ井、星月夜ノ井) - 鎌倉十井のひとつ。その昔は昼でも暗い山深い場所で、井戸を覗くと星が輝いて見えたという。行基の虚空蔵堂と関係がある。明治時代には、茶店ができて賑わったという。
極楽寺坂切通 - 鎌倉七口のひとつで、極楽寺開山の忍性が開削したと伝わる。新田義貞の鎌倉攻めの舞台となった。中世の切通しは急坂であったといわれ遺構は失われている。現在の極楽寺坂は大正時代に開削されたもの。

歴史

平安時代
「新編相模風土記」によれば、弘法大師空海が、この地で数日間に渡り護摩供養・虚空蔵菩薩求聞持法を修したと伝わる。
1219年
「新編相模風土記」によれば、北条泰時が、京より高僧を招き、一宇を建立し願成就院と号したと伝わる。
鎌倉時代
鎌倉防衛の要衝でもあった極楽寺切通にあったことから「泰時の物見寺」 とも称された。
1333年
新田義貞の鎌倉攻めの兵火で焼失し、西ヶ谷に移転した。
室町時代
関東管領 足利成氏は、毎年正月に成就院住職を御所で接待した。
1688~1704年
元禄年間、旧地に往還し再興した。

撮影後記

 スペースの都合で説明できなかった行基と星月の井にまつわる伝説をここで。 天平の昔、行基がこの地で虚空蔵をまつる法を修したところ、井戸の水面に三つの明星が七日間輝き続けた。 井戸の水を汲みあげると、底から珍しい形をした石が出てきて、これは虚空蔵さまの霊験だろうと行基は考えた。 この話が奈良の聖武天皇の耳にも入り、行基に虚空蔵菩薩の像を彫って安置するように宣旨された。 これが虚空蔵堂の由来になります。 「星の御堂」とも称されるのはこのためです。 水道が普及するまでは、道行く人たちに茶店でこの井戸水が売られていたそうです。

更新履歴

2012年9月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月16日
ギャラリーに作品を3点追加しました。

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