今泉地域

弘法水伝説

砂押川上流域の谷間の地である。今泉の奥を金仙山といい、仙人の霊告を受けた弘法大師が此の地を訪れ、不動明王に祈祷したところ水が涌きだしたという。以来、今泉というようになったことが地名の由来とされる。

今泉

今泉地域について

基本情報

名称
今泉(いまいずみ)
交通機関
大船駅からバス利用、北鎌倉駅から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市今泉・今泉台

概要

砂押川上流域の谷間の地で、今泉と今泉台地区に分かれている。 今泉の奥を金仙山といい、仙人の霊告を受けた弘法大師が此の地を訪れ、不動明王に祈祷したところ水が涌きだしたという。 以来、今泉というようになったことが地名の由来とされる。 戦国期には山ノ内にあった禅興寺(廃寺)の寺領であった。 江戸寛永・元禄期は加藤氏の旗本知行地。 幕末は天領で、大船・岩瀬の千石といわれる水田では、水不足から水争いが絶えなかった。 そこで今泉村と岩瀬村から有志を集め、灌漑用水池(鎌倉湖)を完成させた。

見所

観光名所
称名寺 - 今泉不動の名でよく知られている浄土宗寺院。本堂右脇にホタルの養殖池があり、毎年6月初旬にホタル鑑賞の夕べを催している。境内には陰陽の滝が流れ落ち、山紫水明の地にある。吉野桜や四季桜が美しい。
白山神社 - 今泉の鎮守。源頼朝が鶴岡八幡宮の北にあたる今泉の当地に毘沙門堂を建立したのが始まりだと伝わる。毘沙門天の使徒であるムカデを模した大きな注連縄がかけられている。1月に行われる「大注連祭(むかでしめ)」では、氏子が藁を持ち寄り、オオムカデを模した7メートルもの注連縄を今泉の住民が力を合わせ作り奉納される。
今泉寺 - 白山神社の参道横に、宮寺の今泉寺が建っている。昭和初期、明月院と合併した後、昭和58年に本尊を如意輪観音とする寿福山今泉寺として再興された。
散在ガ池森林公園 - 今泉台にある「鎌倉湖」とも称される散在ガ池を中心とした自然豊かな風致公園である。公園には、散策路がいくつか整備され、野鳥観察のポイントであるほか、春は桜、秋は紅葉を湖面に映し出す様は神秘的である。

歴史

平安~鎌倉時代
山内荘の一部であった。
1190年
毘沙門堂が建立された。
戦国時代
山ノ内にあった禅興寺(廃寺)の寺領であった。
江戸時代
寛永~元禄期頃は加藤氏の旗本知行地であった。
1693年
称名寺が創建された。
幕末
幕府の天領であった。
1864年
灌漑用水池の土堰堤(鎌倉湖)が完成した。
明治維新
毘沙門堂が白山神社となった。
明治22年
今泉村が小坂村の大字となった。
昭和8年
小坂村が大船町へ改称した。
昭和23年
大船町が鎌倉市へ編入された。
昭和56年
住居表示変更で今泉台の新町名が生まれた。
昭和57年
散在ガ池森林公園が開園した。

撮影後記

 白山神社には江戸時代の狂歌師「酔亀亭天広丸」の歌碑が立っています。 天広丸は今泉の出身で、銭は全て酒に使ってしまい、住んでいた屋敷は雨漏りだらけだったそうです。 名前も面白い人ですね。

更新履歴

2010年10月22日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年10月25日
ギャラリーに作品を3点追加しました。
2014年10月25日
「白山神社・今泉寺」から「今泉地域」に変更しました。

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