染王寺

筆子塚

真言宗御室派の寺である。1382年、比丘尼によって野島の山頂に開創されたが、強風で堂舎が破却されたため南麓の現在地に移った。境内に筆子塚があり、寺小屋で教えを受けた弟子が、住職のために供養したものである。

染王寺

染王寺について

基本情報

山号寺号
染王寺(のじまさんぜんのうじ)
別称
善応寺
宗派
真言宗御室派
創建
1382年(永徳二年)
開基
比丘尼(びくに)
本尊
聖観世音菩薩
札所
新四国東国八十八所霊場第 第77番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
シーサイドライン野島公園駅徒歩5分
住所
神奈川県横浜市金沢区野島町5-1

概要

野島にある真言宗御室派の寺である。 「武蔵風土記」によれば、もとは「善応寺」と号し、野島山の山頂にあったが、強風を受けて堂舎が破却されたため南麓の現在地に移ったという。 墓地入口に「比丘尼了意、永徳二年(1382年)六月十八日」と刻まれた宝篋院塔があり、比丘尼によって開創されたものと考えられている。 中興開山は源朝で、永禄九年(1566年)示寂。 境内には筆子塚があり、江戸時代に寺小屋で教えを受けた弟子が、師(住職)のために供養したものである。

見所

市登録史跡
筆子塚 - 寺小屋で教えを受けた弟子が師のために供養したもの。元禄元年から享保年間(1688年~1735年)にかけての四代住職の墓石に「施主手習子供」の銘がある。
観光名所
本堂 - 本尊聖観世音菩薩が安置されている。

撮影後記

 特徴的な寺号で、愛染明王が関係していそうです。 もとは「善応寺」もしくは「善王寺」と号して、野島山の山頂にあったといいます。 山頂には今でも善応寺屋敷の地名が残っているそうです。

更新履歴

2015年10月17日
初版をアップロードしました。

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