大慶寺

関東十刹

寺分にある臨済宗円覚寺派の禅刹。弘安年間(1278~1287年)、宋僧 大休正念を開山に創建された。室町時代には、関東十刹に列せられた名刹である。戦国時代の兵火で長らく荒廃していたが、昭和になり再興された。

大慶寺

大慶寺について

基本情報

山号寺号
霊照山大慶寺(れいしょうざんたいけいじ)
宗派
臨済宗円覚寺派
創建
1278年~1287年(弘安年間)
開山
大休正念(だいきゅうしょうねん) - 浄智寺開山。
開基
長井光録
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
湘南モノレール湘南深沢駅徒歩4分
住所
神奈川県鎌倉市寺分1丁目5-8

概要

寺分にある臨済宗円覚寺派の寺院。 弘安年間(1278~1287年)、宋僧 大休正念(仏源禅師)を開山に創建された。 室町時代には、関東十刹第五位に列格された名刹である。 戦国時代の兵火で荒廃し、しばらく無住が続いたが、塔頭のひとつであった方外庵を本堂とし再興された。 本尊の木造釈迦如来坐像は戦国時代の作で、市の文化財に指定されている。

見所

市文化財
木造釈迦如来坐像 - 1567年 仏師 快円の作。旧本尊は、1561年の上杉謙信の鎌倉入りで円覚寺に避難したが、1563年の火災で焼失。
石造宝塔 - 境内のやぐらから出土した鎌倉時代末の石塔二基。
市天然記念物
柏槇(ビャクシン) - 樹齢700年以上といわれる古木2株。
観光名所
仏殿(本堂) - 平成13年の建立。本尊の釈迦如来像の他、開山の木造大休正念像、方外庵開山の木造秋澗道泉像が安置されている。
山門 - 本堂が落成した際に現在地に移された。江戸時代前期の建築。茅葺き。旧山門の遺構が円覚寺の鐘楼の柱に見られる。
鎌田茂雄の墓 - 先代住職で東京大学名誉教授。中国仏教史(華厳学)の博士。業績を記した石碑が立つ。

歴史

1278~1287年
弘安年間、長井光禄(永井光禄)が、宋僧 大休正念(仏源禅師)を開山に創建した。
1323年
9代執権 北条貞時の十三回忌供養には、83人もの僧が参列した大寺院で、塔頭も5院あったといわれる。
1386年
関東十刹第五位に列格された。
1512年
北条早雲による焼き討ちで、本尊が頭部を残し焼失。
1561年
上杉謙信の鎌倉入りの際、本尊を円覚寺仏殿に避難させた。
1563年
円覚寺の大火で本尊が焼失。
1567年
仏師 快円によって現本尊が建立された。
戦国時代
兵火などで荒廃。
近世
無住が続いた。
1841年
塔頭のひとつ方外庵を除き廃絶した。
昭和19年
方外庵が大慶寺として復興した。

撮影後記

 寺分という字名は、大慶寺の領分ということに由来し、この辺りは大慶寺の僧が生活する庵がいくつかあったそうです。 今でも屋号のように家の呼び名で残っているそうです。 また、すぐ近くの深沢中学校の辺りは大工谷戸と呼ばれ、かつて大慶寺を修復した大工が住んでいたそうです。 この辺りに昔から住んでいらっしゃる方は、御先祖が、職人系譜なのかもしれません。 長らく無住が続いたため檀家も少なく、昭和の時代は、境内には竹が生い茂り、門も固く閉ざされたままであったとか。 鎌田茂雄先生がおっさまとなられ、現在のように開放的な寺となったのでしょう。

更新履歴

2012年8月24日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月19日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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