鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
古代、瀬戸神社の北西側一帯は入り江となっており、瀬戸橋の位置にあたる狭い海峡で平潟湾につながっていた。 この狭い海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「瀬戸」であった。 罪穢を流し去る神聖な場所として、海神が祀られるようになったのが起源である。 1180年、源頼朝は伊豆で挙兵した際に御加護をもらった伊豆三島明神(三島大社)の分霊を勧請し社殿を建立し、篤く信仰した。 以後、六浦は鎌倉の外港として発展し、金沢に居を構えた金沢北条氏や関東管領足利氏の崇敬も篤かった。 江戸時代には武家のみならず、金沢八景の瀬戸秋月に描かれ、江戸の町民にまで広く崇敬者はひろがり、文人墨客も当社に参詣した。 明治6年、郷社に列格され、戦後は宗教法人となり神奈川県神社庁指定神社となっている。
神社の東側に「瀬戸橋」と呼ばれる石橋があります。 瀬戸とは瀬にある狭い門(ト)を意味し、ここが海峡となって北側に広大な内海が広がっていました。 江戸時代中期までは、金沢文庫駅や手子神社あたりまで広がっていたそうです。
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