光傳寺

たけくらべの地蔵

六浦にある1573年頃創建の浄土宗寺院。本尊の阿弥陀如来像には、開基となった六浦の豪勇 長野六右衛門が悪行を悔いるという縁起物語が伝わる。また、県文の地蔵菩薩像は「たけくらべの地蔵」と称され親しまれてきた。

光傳寺

光傳寺について

基本情報

山号寺号
常見山光傳寺(じょうけんざんこうでんじ)
宗派
浄土宗
創建
1573年頃(天正元年頃)
開山
忍誉
開基
長野六右衛門
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京急金沢八景駅徒歩20分
住所
神奈川県横浜市金沢区六浦3丁目2-11

概要

六浦にある1573年頃創建の浄土宗寺院。 六浦の豪勇 長野六右衛門が、千葉の白浜で自らの誤りで切り落とした阿弥陀如来の御首を持ち帰り、草庵に安置したのが起源と伝わる。 その後、鎌倉の二階堂にあった胴体だけの仏像に、御首を添えたのが現本尊の阿弥陀如来立像といわれる。 寺宝として鎌倉時代作の木造地蔵菩薩立像(県文)がある。 鎌倉の竹田という宮大工が金沢称名寺へ仕事に通うとき、いつも6尺あるこの地蔵と背競べをしていたことから「たけくらべの地蔵」と称され親しまれていた。

見所

県文化財
木造地蔵菩薩立像 - 鎌倉時代作。永仁二年増慶の銘がある。鎌倉の竹田という宮大工が金沢称名寺へ仕事に通うとき、いつも6尺あるこの地蔵と背競べをしていたことから「たけくらべの地蔵」と称され親しまれていた。
観光名所
本堂 - 本尊の阿弥陀如来立像は寺の縁起に関わるもの。首が春日の彫刻、胴体は運慶の作と伝わる。
ビャクシン - 樹齢500年の柏槇。市の名木古木指定。

歴史

1573年頃
六浦の豪勇 長野六右衛門が、安房の白浜で自らの誤りで切り落とした阿弥陀如来の御首を持ち帰り、草庵に安置したのが起源。その後、鎌倉の二階堂にあった胴体だけの仏像に、御首を添え本尊としたと伝わる。
江戸時代
「西湖之八景武之金沢模写図」によれば、裏山は金沢八景の能見堂や九覧亭などと並ぶ展望の地で、茶屋が設けられていた。
明治6年
学制で六浦小学校の前身となる光伝寺学舎が設立された。

撮影後記

 スペースの都合で本尊に伝わる縁起をここで。 時は戦国時代、六浦に剛勇で知られた長野六右衛門という者がおり、各地で蛮行を重ねていました。 ある夜、安房の白浜海岸を通り過ぎようとすると、怪しく光るものが現れ、太刀で光るものを切り落としました。 不思議に思い、翌朝その場へ戻ってみると、砂浜に阿弥陀さまの御首が落ちているのを見つけました。 昨夜、切り落としたのは阿弥陀さまだったと察した六右衛門は、さすがに恐ろしさに身を震わせました。 六右衛門は、すぐさま御首を六浦に持ち帰り、草庵に御首を安置し、これまでの悪行を悔い改めたといわれます。 こういったことで「光伝寺」と号されているようです。

更新履歴

2012年11月1日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月14日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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