薬王寺

源範頼

金沢区寺前にある真言宗御室派の寺。討伐された源範頼を弔うため、別邸があった瀬が崎に創建され、江戸時代に「薬王寺」と改め現在地に再興された。本堂には源範頼の念持仏と伝わる本尊薬師如来像を安置している。

薬王寺

薬王寺について

基本情報

山号寺号
三療山薬王寺(さんりょうざんやくおうじ)
宗派
真言宗御室派
創建
鎌倉時代前期
本尊
薬師如来
札所
新四国東国八十八ヶ所霊場 第74番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
シーサイドライン海の公園南口駅徒歩5分
住所
神奈川県横浜市金沢区寺前2丁目23-52

概要

金沢区寺前にある真言宗御室派の寺で、洲崎にある龍華寺末である。 建久四年(1193年)曾我兄弟の仇討ちで謀反の疑いを招いた源頼朝の異母弟である源範頼が、伊豆国修禅寺に幽閉され、梶原景時父子らによって討伐された。 鎌倉時代前期、源範頼の別邸があった瀬が崎に「三愈山愈遍照坊」を建立して霊を弔ったのが起源と伝わる。 江戸時代に「三療山薬王寺」と改号し、現在地に再興された。 本堂には源範頼の位牌を奉り、念持仏と伝わる本尊薬師如来像を安置している。

見所

市文化財
絹本著色種子両界曼荼羅図 - 密教の教えと宇宙の真理を図示したもので、胎蔵界と金剛界の2幅によって構成されている。
観光名所
本堂 - 源範頼の位牌を奉り、念持仏と伝わる本尊薬師如来像を安置する。
梵鐘 - 8月24日の「三河忌」では、朝晩6時に鐘を搗き時を知らせる。

行事

8月24日
三河忌 - 源範頼命日の追善供養。

歴史

1193年
曾我兄弟の仇討ちで謀反の疑いを招いた源範頼が、伊豆国修禅寺に幽閉され、梶原景時父子らによって討伐された。
鎌倉時代前期
源範頼の別邸があった瀬が崎に「愈遍照坊」を建立して霊を弔った。
中世
衰退した。
江戸時代
「薬王寺」と改号し、現在地に再興された。

撮影後記

 以前は「金沢紀行」のなかで紹介していましたが、新たに「薬王寺紀行」として公開することにしました。 源範頼は私の故郷である浜松市蒲御厨で生まれ育ったため、「蒲冠者(かばのかじゃ)」と呼ばれます。 後に三河守を任せられたのですが、義経と同じく頼朝によって有らぬ疑いをかけられ中央から排斥されていまいました。
 全国の桜を撮影していると、彼に纏わる名桜にいくつか出会いました。 埼玉県の「石戸蒲ザクラ」は有名です。

更新履歴

2015年10月17日
初版をアップロードしました。

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