鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
深沢地域の臨済宗大慶寺がある一帯で、南北朝時代から戦国時代にかけて大慶寺の寺領であったところに地名は由来する。 新編鎌倉志では「てらわけ」と訓読みされ、梶原1丁目2丁目も含まれていた。 洲崎郷(寺分・山崎・上町屋・梶尾の一帯)は、1333年(元弘三年)新田義貞軍と幕府執権の赤橋守時軍が対峙した鎌倉攻め最激戦地の古戦場で、寺分には陣が敷かれていた「陣出」という小字が残る。 陣出には洲崎合戦の戦死者の霊を慰めるために建立したといわれる宝篋印塔「泣塔」が立っている。
泣塔がある陣出一帯は、戦前は低い丘陵地帯で山腹に神明社や諏訪社が祀られ、やぐら群もあり、ラジウム鉱泉の「陣出園」「神明温泉」という旅館も建っていたそうです。 戦時中に海軍が軍需工場を建設し、戦後は国鉄の車両基地などに受け継がれ、一帯の風景は様変わりしています。 唯一、泣塔だけが祟りを恐れて破却されなかったので、往時の雰囲気を留めています。
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