向福寺

一向俊聖

材木座にある時宗総本山遊行寺の末寺。當山開山の一向俊聖は、鎌倉蓮華寺の然阿良忠の門弟となり、一遍上人同様に遊行回国し、踊り念仏を修した。一向の時衆(一向宗)は、江戸幕府の命により、時宗に統合された。

向福寺

向福寺について

基本情報

山号寺号
円龍山向福寺(えんりゅうざんこうふくじ)
宗派
時宗
創建
1282年(弘安五年)
開山
一向
本尊
阿弥陀三尊
札所
鎌倉三十三所観音霊場第15番札所
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
五所神社バス停徒歩1分
住所
神奈川県鎌倉市材木座3丁目15-13
サイト
向福寺

概要

材木座にある時宗総本山、藤沢の清浄光寺(遊行寺)の末寺。 當山開山の一向俊聖は、鎌倉蓮華寺の然阿良忠の門弟となり、一遍上人同様に各地を遊行回国し、踊り念仏を修した。 1282年(弘安五年)、一向によって設けられた道場が起源と伝わる。 一向の時衆(一向宗)は、江戸時代に幕府の命により、清浄光寺を総本山とする時宗に統合された。 観音、勢至の両菩薩を脇侍とする本尊の木造阿弥陀如来像は、南北朝時代の作といわれる。

見所

観光名所
本堂 - 昭和初期の建築。文政九年(1826年)に再建された本堂は、関東大震災で倒壊した。

歴史

1282年
一向俊聖によっ創建されたと伝わる。
江戸時代
時宗総本山清浄光寺末となった。
1826年
本堂と表門が再建された。
大正12年
関東大震災で本堂と表門が倒壊した。
大正15年
新聞連載小説「丹下左膳」で知られる林不忘(長谷川海太郎)は、材木座に移り住み、向福寺の一室を借りて新婚生活を送った。
昭和初期
本堂が再建された。

撮影後記

 小町大路沿いの寺院で、こじんまりとした静かな佇まいです。 山ノ内の光照寺と同じく一向宗派の時宗寺院です。 当寺で新婚生活を送った林不忘は、鎌倉の自宅で持病の喘息の発作で、35歳の若さで早逝してしまったそうです。 妙本寺の祖師堂横に、彼の墓があります。

更新履歴

2014年11月9日
初版をアップロードしました。

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