円覚寺

駅を降りると浄域

臨済宗円覚寺派総本山で、北条時宗が元寇での菩提を弔うため無学祖元を招き、1282年に創建した禅刹。かつて夏目漱石が参禅したことはよく知られる。都心から直接アクセスでき、駅を降りるとそこが境内という立地から、手短に俗塵を離れることができる。

円覚寺

円覚寺について

撮影後記

 円覚寺(えんがくじと濁る)は、鎌倉で初めて訪れたお寺です。 また、北鎌倉駅に近いので、撮影の〆はここになることが多く、そういったことで思い入れは強い場所ですね。
 北鎌倉紀行の方でも書きましたが、夏目漱石の小説『門』の主人公である宗助は、円覚寺に踏み入れたとき、世の中と寺の中の区別を悟りましたが、まさにその表現がピッタリ。 北鎌倉駅で電車を降りて、総門を潜ると、別世界に足を踏み入れた気持ちになるんですよね。 そういった場所は他に星の数ほどありますが、ここは大都会から数十分で着き、そして駅を降りたらそこが境内というところが違います。 これは誇張ではなく、今なお白鷺池の辺りは境内で、富国強兵で軍港である横須賀に通じる路線を敷設するため、境内の一部に鉄道を通した歴史があります。

概要・歴史

山号を瑞鹿山(ずいろくさん)とする、臨済宗円覚寺派総本山。 開山は無学祖元、開基は北条時宗、本尊は宝冠釈迦如来、鎌倉五山第二位に列せられる。 かつて夏目漱石や島崎藤村が参禅したことはよく知られる。 鎌倉幕府8代執権北条時宗は、禅を弘めたいという願いと、文永・弘安の役の元寇での戦没者(蒙古・高麗の兵士も)の菩提を弔うため、帰依していた宗の禅僧・無学祖元を招き、1282年に創建した。 寺名の由来は、起工の折、大乗経典の「円覚経」を納めた石櫃が出土したことから。 無学祖元の法灯は、後に夢窓疎石へと受け継がれ、 五山文学や室町文化に大きな影響を与えることになる。 創建当初は仏殿・僧堂・庫裡のみの簡素な伽藍だったが、鎌倉幕府の祈願所に定められてから、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、七堂伽藍の大寺院となる。 幕府滅亡後、夢窓疎石が住職となり建長寺にあった無学祖元の塔頭・正続院を円覚寺に移し、北条氏滅亡後も尽力し、最盛期には塔頭も42院を数えるほど繁栄を続ける。 1374年の大火で全ての伽藍を失ったのをはじめ、何度か火災に遭ったが、室町幕府・江戸幕府の篤い保護を受けその都度再建された。 現在の伽藍配置は、総門から三門・仏殿・法堂跡・方丈が一直線に並ぶ宋風の禅宗様式に則している。 文化財では、禅宗様建築を代表する正続院の舎利殿と梵鐘の洪鐘(おおがね)が国宝指定を受けている。

住所: 神奈川県 鎌倉市山ノ内409

更新履歴

2011年6月26日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2015年11月2日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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