鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
「縁切寺」「駆け込み寺」として広く知られる臨済宗円覚寺派の名刹。 北条時宗の子の北条貞時が、時宗死去の翌年の1285年、時宗の正室 覚山尼を開山として建立した。 封建時代、離婚できる権利は夫にしか認められていなかったが、縁を切りたい妻は、3年(のち2年)の修行を幕府公認の縁切寺ですれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があり、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の尼寺であった。 明治4年に縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年に幕を閉じた。 後醍醐天皇皇女 用堂尼が5世住持として入寺してから「松ヶ岡御所」と称せられ、尼五山第二位の格式の高さを誇った。 江戸時代、豊臣秀頼の娘で徳川秀忠の養外孫にあたる天秀尼が入寺し、徳川家の篤い庇護のもと、鎌倉では鶴岡八幡宮、円覚寺に次ぐ寺領を持ち栄えた。 境内の墓苑には多数の文人らが眠り、鈴木大拙(仏教学者)、西田幾多郎(哲学者)、高見順(作家)らの墓がある。 また、ウメやハナショウブをはじめ「花の寺」としても大変人気があり参拝者で賑わう。
鎌倉随一の花暦を誇る寺院で、いつお邪魔しても、なにかしらの花が咲いていて、とても人気がある寺院です。
境内は松ヶ岡谷に切れ込むように奥が深くなっています。
かつては徳川家の篤い庇護の下、建長寺よりも広大な寺領を保持していたといいます。
二階堂は東慶寺の寺領で、鎌倉宮は東慶寺領を明治政府に上知され創建されました。
ギャラリーにも掲載しましたが、一度たぬきを目撃したことがあります。
アライグマやハクビシンではないと思うのですが、相当苦労して天寿を全うしようとしている容姿でした。
絶滅したとも聞いたことがありますが、鎌倉にもまだ狸がいたのですね。
浄智寺にも紫香楽焼のタヌキの供養塔がありますが、昭和まではまだ生息していて、よく道路に出てきて交通事故で逝ってしまわれたようです。
多摩丘陵の「平成狸合戦ぽんぽこ」を思い出しましたよ。
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