小町

古と現代の中心街

若宮大路の東西に広がる地区である。東側に小町大路が貫き、中世鎌倉の政治と商工業の中心であった。それに対して西側は現代の中心街で、日本有数の観光商店街として大変な賑わいをみせる小町通りが貫いている。

鎌倉小町

小町について

基本情報

名称
小町(こまち)
指定
国史跡(若宮大路・東勝寺跡)、県史跡(段葛)
交通機関
横須賀線・湘南新宿ライン鎌倉駅下車すぐ
所在地
神奈川県鎌倉市小町
サイト
鎌倉小町商店会

概要

鶴岡八幡宮表参道にあたる若宮大路の東西に広がる地区である。 若宮大路東側に小町大路が南北に貫き、多くの有力御家人の邸宅が立ち並び、町屋が軒を並べ、中世鎌倉の政治と商工業の中心であった。 そこでは、日蓮が辻説法を説き、法華経の布教に努めたといわれ、現在、通りに沿って日蓮宗寺院が多く建っている。 滑川を渡り、さらに東側には東勝寺跡がある。 新田義貞の鎌倉攻めで北条高時ら北条氏一門がここに篭もり火を放って自刃し、ここに鎌倉幕府は滅亡した。 古の中心地であった若宮大路東側であったが、西側は現代の中心地である。 鶴岡八幡宮の裏参道にあたる小町通りは、日本有数の観光商店街として季節を問わず大変な賑わいをみせている。

見所

国史跡
若宮大路 - 由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮に至る1.5キロの参道。1182年、源頼朝が平安京朱雀大路を参考に鎌倉都市計画の一環として造られた。妻 北条政子の安産祈願も兼ねていたといわれる。現在一般県道として利用されているが、発掘調査によって遺構が地下に良好に残っていることが明らかになった。
東勝寺跡 - 1333年、新田義貞の鎌倉攻めで北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もり火を放って自刃し(東勝寺合戦)、ここに鎌倉幕府は滅亡した。その後、直ちに再建され、室町時代には関東十刹列格されたが、戦国時代に廃寺となった。現在「高時の腹切りやぐら」が残されている。
県史跡
段葛 - 若宮大路の二ノ鳥居から三ノ鳥居までは、盛土で中央が一段高くされ、置石のかつら石を敷き詰めていたため「段葛」と呼ばれる。遠近法によって実際より長く見えるよう、鶴岡八幡宮側に近づくにつれて道幅が狭くなり、石積も低くなっている。
市重要建築物
聖ミカエル教会聖堂 - 小町通りにある昭和8年に建てられた教会。聖堂部が創建時のもの。
東勝寺橋 - 滑川に架かる大正13年に建造されたアーチ橋。
観光名所
宝戒寺 - 1335年創建の天台宗寺院。後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、宝戒寺裏山で自刃した鎌倉幕府最後の執権・北条高時とその一族の慰霊のために建立させたと伝わる。鎌倉一のハギの名所として知られ、「萩の寺」と称される。
本覚寺 - 1436年、日出により創建された日蓮宗本山。第二世の日朝が、身延山久遠寺に安置されていた日蓮の遺骨を分骨したため「東身延」とも称される。正月の初えびすと本えびすには、商売繁盛の拝観者で賑わいをみせる。
大巧寺 - 安産祈願で知られる日蓮宗系の単立寺院。室町時代、第五世の日棟が、難産で死んだ女の霊魂を鎮めるために産女霊神として祀り、以来、「おんめさま」として親しまれ安産の神として信仰されている。
妙隆寺 - 1385年創建の日蓮宗の古刹。有力御家人だった千葉胤貞が、日英上人を迎え別邸に建立し、鎌倉における中山門流の中心となった。第二代は、「鍋かむり上人」と知られる日親である。夏に咲く芙蓉の群生が美しい。
蛭子神社 - 小町の鎮守。もともとこの地には小町下町鎮守の七面大明神が鎮座していた。明治の神仏分離によって、宝戒寺の鎮守であった山王大権現、本覚寺の鎮守の夷堂(現在は再び本覚寺に移されている。)を合祀して蛭子神社となった。
二の鳥居 - 段葛の南端に立つ朱塗りの鉄筋コンクリート製鳥居。関東大震災で倒壊するまで、一の鳥居と同じ崇源院 江の遺願によって建てられた石造鳥居だった。鳥居前には、昭和36年に奉納された狛犬が鎮座する。「鶴岡八幡宮」の社号柱は、東郷平八郎筆。鎌倉国宝館前の「源実朝の歌碑」は、倒壊した旧石造鳥居が使用されている。
宇津宮辻子幕府跡 - 1225年、3代執権 北条泰時は、北条政子が亡くなると大倉にあった幕府(大倉幕府)をこの地に移し、1236年、4代将軍 藤原頼経が若宮大路に幕府を移すまで幕府があった地といわれる。付近からは古瀬戸や常滑焼が多数出土した。現在、宇都宮稲荷が鎮座する。
日蓮上人辻説法跡 - 日蓮は、蛭子神社周辺のこの辺りで熱心に法華経の布教に努めたといわれる。
紅葉山やぐら - 昭和10年に発見され、五輪塔や納骨が出土した。場所柄、北条得宗家ゆかりのやぐらといわれる。
夷堂橋 - 滑川に架かる「鎌倉十橋」のひとつ。中世、この橋より北が小町、南が大町とされた。「かながわの橋100選」にも選定されている。
小町通り -鎌倉駅東口駅前の鳥居型を起点として約360mの区間に約250店舗の商店が立ち並んでいる鶴岡八幡宮の裏参道。日本有数の観光商店街として季節を問わず大変な賑わいをみせる。

歴史

1182年
源頼朝が、平安京朱雀大路を参考に鎌倉都市計画の一環として造られ、道幅は30m以上あったといわれる。妻 北条政子の安産祈願も兼ねていたといわれる。
1225年
3代執権 北条泰時は、北条政子が亡くなると大倉にあった幕府(大倉幕府)を小町(宇津宮辻子幕府)に移した。
1254年~
日蓮は、蛭子神社辺りで辻説法を説き、法華経の布教に努めたといわれる。
1320年
十二所にあった大巧寺を現在地に移し日蓮宗に改宗された。
1333年
新田義貞の鎌倉攻めで北条高時ら北条氏一門が東勝寺に篭もり火を放って自刃し(東勝寺合戦)、ここに鎌倉幕府は滅亡した。
1335年
後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、宝戒寺裏山で自刃した鎌倉幕府最後の執権・北条高時とその一族の慰霊のために宝戒寺が建立された。
1385年
妙隆寺が創建された。
1436年
日出により本覚寺が創建された。
1668年
八幡宮修理の一環として、2代将軍 徳川秀忠夫人 崇源院(江)の遺願によって石造へと変えられ、4代将軍 徳川家綱によって建立された。
明治維新
小町下町鎮守の七面大明神が、明治の神仏分離によって、宝戒寺の鎮守であった山王大権現、本覚寺の鎮守の夷堂を合祀して蛭子神社となった。
明治6年
小町村の鎮守として蛭子神社が村社に列格された。
明治22年
横須賀線の開業で鎌倉駅が開業し、段葛は二の鳥居まで縮小された。
明治43年
江之島電氣鉄道の小町駅が現在の鎌倉駅東口に開業した。
大正4年
江之島電氣鉄道の小町駅が鎌倉駅に改称。
大正7年
段葛に桜が植えられ整備され、桜並木の参道となった。
大正12年
関東大震災で家屋倒壊など甚大な被害を受けた。
昭和14年
小町が鎌倉市の大字になった。
昭和24年
江ノ島電気鉄道鎌倉駅が現在の鎌倉駅西口に移転。
昭和59年
国鉄時代の旧鎌倉駅舎が現駅舎に改築された。

撮影後記

 鎌倉時代の小町は、今と少し範囲が違っていて、東は滑川、西は若宮大路、南は夷堂橋、北は横大路の範囲を小町といいました。 夷堂橋以南を大町と称していたので、対になっていたようです。 現在の小町と云えば、中世の小町ではない範囲の小町通りを連想しますね。 日中に行くと、いつもすごい混雑です。 現在、電線の地中埋設化を進めているそうですが、最近埋設化された京都の産寧坂とは事情が異なり、あの通りは電線や統一感のない看板がゴチャゴチャとあった方が、日本らしい雑多感があって、いいような気もします。
 なお、若宮大路と大町の寺社は、別ページで紹介しています。

更新履歴

2012年8月4日
初版をアップロードしました。
2012年8月18日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月10日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を5点追加しました。
2014年11月21日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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