教恩寺

平重衡の阿弥陀三尊像

時宗藤沢清浄光寺末。北条氏康が光明寺境内に建て、1678年に大町に移った。本尊の阿弥陀三尊像は運慶作と伝わり、平重衡が一ノ谷の合戦で捕らえられ鎌倉に連行された際、源頼朝より与えられ信仰したとされる。

教恩寺

教恩寺について

基本情報

山号院号
中座山大聖院(ちゅうざさんだいしょういん)
寺号
教恩寺(きょうおんじ)
宗派
時宗
寺格
藤沢清浄光寺末
創建
1678年(延宝六年)
開山
知阿(ちあ)
開基
北条氏康
中興開山
貴誉(きよ)
本尊
阿弥陀如来三尊
札所
鎌倉三十三所観音霊場第十二番
駐車場
駐車場なし
交通機関
鎌倉駅東口徒歩7分
住所
神奈川県鎌倉市大町1丁目4-29

概要

時宗藤沢清浄光寺末の寺院。 戦国時代、小田原北条氏3代目の北条氏康が、材木座の光明寺境内に建てたのがはじまりといわれる。 その後、江戸時代の1678年に光明寺から現在の大町に移し、時宗に改宗した。 県の重文に指定されている本尊の木像阿弥陀三尊像は、鎌倉時代前期のもので、運慶作と伝わる。 平重衡が一ノ谷の合戦で捕らえられ鎌倉に連行された際、源頼朝より与えられ信仰したとされる。

見所

県重要文化財
木像阿弥陀三尊像 - 鎌倉時代前期のもので、運慶作と伝わる。平重衡が源頼朝より与えられ信仰したとされる。
観光名所
山門 - 十六羅漢の彫刻が施されている。
サクラ - 枝振りに特徴がある。

歴史

1184年
平重衡が一ノ谷の合戦で敗れ、鎌倉に連れてこられた際、源頼朝より一族の冥福を祈るように阿弥陀像を与えられた。重衡も篤く信仰し、これが当寺に伝わる本尊とされる。
1185年
平重衡が山城国の木津川畔にて斬首され、奈良坂にある般若寺門前で梟首された。
鎌倉時代
この地に、材木座の光明寺末の善昌寺があったが廃寺となった。
戦国時代
北条氏康が光明寺境内に「教恩寺」を建立した。
1678年
貴誉によって光明寺から移築され、その後、時宗に改宗された。
昭和12年
境内から宋代明代の銅銭が入った壺が出土した。

撮影後記

 今では材木座しか残っていませんが、この辺りは、米座や魚座があった中心商業地。 周囲には米屋、酒屋、魚屋さんなどがあるような、下町らしい場所に立っています。 平重衡と北条氏康がキーワードとして登場しますが、両者は別の縁起で関係はまりません。
 これをアップしていて、想い出しました。 あの枝振りに特徴のある桜を桜咲く季節に撮り忘れていたことを。 そういえば、このお寺さんはあまり撮影していませんね。 今後、近くを通ったときは優先して立ち寄ってみることにします。

更新履歴

2011年10月12日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月17日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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