七里ガ浜地域

サーフィンのメッカ

日本の渚百選の一つ。地名の由来は、稲村ヶ崎と小動岬間が鎌倉時代の尺貫法で、およそ7里あるからというのが一説。遠浅の海岸ではなく、海底には海食台が発達し、複雑な波が立つので、年中サーファーで賑わう。

七里ガ浜

七里ガ浜について

撮影後記

 週末にもなれば多くのサーファーが波乗りし、ローカル線の雰囲気を残す江ノ電が走り、美しい湘南七里ガ浜の光景ですが、実は問題山積みです。 砂の流失問題、国道134号の慢性的渋滞問題、老朽化した護岸の崩落問題など。 このような問題に絡み、自分の身近なところでは、ついに海浜植物のハマヒルガオが絶滅しました。 由比ヶ浜では、浜昼顔が見れないので、鎌倉では、もう見れるところがないのでは? 地元の方に聞くと、数十年前は、一面に茂っていたそうです。 砂の流出で年々生育範囲が縮小して、そしてこの間の護岸工事で、ほぼ絶滅してしまいました。 元をただせば、相模川のダム建設に起因するのでしょうが、ダム建設は必要があってのことで、誰も責めることはできません。 ただ、残念です。

歴史・概要

日本の渚百選の一つ。 地名の由来は、稲村ヶ崎と小動岬間が鎌倉時代の尺貫法で、およそ7里あるからというのが一説。 遠浅の海岸ではなく、海底には海食台が発達し、複雑な波が立ち、サーフィンには適するが海水浴には向かない。 海岸線に平行して江ノ電と国道134号が走り、常時渋滞する。 鎌倉幕府が開かれると、極楽寺坂切通しが整備され、上方と結ぶ重要なルートであった。 日蓮の龍ノ口法難の際には、事件を伝える使者と赦免を伝える使者が七里ヶ浜で行き違い、そこを流れる河川の名を行合川と名付けたという言い伝えがある。 江戸時代には江の島と鎌倉を結ぶ観光地となり、七里ヶ浜から江の島や富士山を望む風景は浮世絵にも多く描かれた。

所在地: 神奈川県鎌倉市七里ガ浜・七里ガ浜東

更新履歴

2010年8月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月18日
ギャラリーに作品を5点追加しました。

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