鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
創建年代は不詳だが、平安時代の御霊信仰から、平安時代後期であると推定される。 もとは関東平氏五家(大庭氏・梶原氏・長尾氏・村岡氏・鎌倉氏)の始祖を祀った神社であったとされ、五霊から転じ御霊神社となったと伝わる。 後に、鎌倉権五郎景政の一柱に集約され、「権五郎神社」と称された。 主祭神の権五郎景政は、鎌倉氏の祖 景成の子で、現在の湘南地域を開拓した開発領主。 16歳の時、「後三年の役」に従軍し、片目を射ぬかれた際の武勇伝をもって知られる。 境内には、景政の武勇伝を伝える巨石が祭られている。 毎年、景政の命日とされれる9月18日の例大祭では、「面掛行列」が行われる。 爺、ひょっとこ、福禄寿、おかめ、鬼、鼻長、異形、翁、烏天狗、女の面をつけた十面の面掛衆が、神輿の前を練り歩き、県の無形民俗文化財に指定されている。
景政の武勇伝の話を記載していなかったので、ここで簡単に。 「奥州後三年記」によれば、秋田の柵を攻めた権五郎景政16歳のときです。 敵の鳥海弥三郎という者に片目を射られながらも、矢も抜かず弥三郎を射倒し味方の陣地へ帰還しました。 三浦平太為継という武士が、轡を履いた足で顔を押さえ、目に刺さった矢を抜こうとしました。 すると景政は、「弓矢で命を落とすのは武士の本望。だが、轡で顔を踏まれるのは死に値する恥である。」とその非礼を叱責したといいます。 それには、為継も周りの者も、年は若いが立派な武士だと皆感嘆したというお話。 林羅山は、射ぬかれながらも命を落とさなかったことから、「本朝神社考」で、眼病平癒に霊験があると記しました。 そのことから、眼の神様としても信仰されています。
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