御霊神社

面掛行列

創建は平安時代後期と推定される。主祭神の権五郎景政は、鎌倉景成の子で湘南を開拓した開発領主。毎年、伎楽面の特色がある十面の面掛衆が練り歩く「面掛行列」が行われ、県の無形民俗文化財に指定されている。

御霊神社

御霊神社について

基本情報

社名
御霊神社(ごりょうじんじゃ)
別称
権五郎神社、権五郎さん
創建
不詳 - 平安時代後期と推定される。
主祭神
鎌倉権五郎景政
旧社格
村社
例祭
9月18日
駐車場
駐車場なし
交通機関
江ノ電長谷駅徒歩3分
住所
神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9

概要

創建年代は不詳だが、平安時代の御霊信仰から、平安時代後期であると推定される。 もとは関東平氏五家(大庭氏・梶原氏・長尾氏・村岡氏・鎌倉氏)の始祖を祀った神社であったとされ、五霊から転じ御霊神社となったと伝わる。 後に、鎌倉権五郎景政の一柱に集約され、「権五郎神社」と称された。 主祭神の権五郎景政は、鎌倉氏の祖 景成の子で、現在の湘南地域を開拓した開発領主。 16歳の時、「後三年の役」に従軍し、片目を射ぬかれた際の武勇伝をもって知られる。 境内には、景政の武勇伝を伝える巨石が祭られている。 毎年、景政の命日とされれる9月18日の例大祭では、「面掛行列」が行われる。 爺、ひょっとこ、福禄寿、おかめ、鬼、鼻長、異形、翁、烏天狗、女の面をつけた十面の面掛衆が、神輿の前を練り歩き、県の無形民俗文化財に指定されている。

見所

市天然記念物
タブノキ - 「かながわの名木100選」に選定されている推定樹齢350年の巨樹。
観光名所
社殿 - 大正二年建立。拝殿には権五郎景政の武勇伝に因み、並矢羽の社紋がある。
石上神社 - 境内社のひとつ。かつて前浜沖にあった岩礁で船が座礁し、人命が奪われることが少なくなかった。そこで岩礁の一部を当社に安置している。毎年、海の日に神幸際の「御供流し」が行われる。
その他境内社 - 稲荷神社、秋葉神社、第六天社、地神社などが祀られている。
庚申塔 - 延宝元年(1673年)の年号があるものや、三匹の猿が踊る珍しいものもある。
収蔵庫 - 江戸時代に面掛行列の十人衆がつけていた仮面を展示(有料)。頭の長い福禄寿がある面は「鎌倉・江ノ島七福神」のひとつ。
弓立の松 - 開発領主だった権五郎景政が領地を見廻る際に弓を立てかけ休んだと伝わる老松。
景政の袂石(たもといし)と手玉石 - 権五郎景政が手玉にとって袂に入れたと伝わる丸い巨石。

祭事

1月1日
元旦祭
7月海の日
御供流し - 海神の霊を鎮め、海難犠牲者の霊を慰める石神神社の神事。御供(神前に供えた赤飯)を捧持した若者たちが、由比ガ浜沖の岩礁があった場所に泳ぎ出て御供を流す。
9月17日
例祭 敬老祭
9月17日
例祭 宵宮祭
9月18日
例祭 面掛行列 - 権五郎景政の命日に行われる例大祭。爺、ひょっとこ、福禄寿、おかめ、鬼、鼻長、異形、翁、烏天狗、女の面をつけた十面の面掛衆が神輿の前を練り歩く。神仏分離まで鶴岡八幡宮の放生会で行われていた。神奈川県指定無形民俗文化財。
9月18日
例祭 鎌倉神楽 - 除災招福を祈る。市指定文化財。

撮影後記

 景政の武勇伝の話を記載していなかったので、ここで簡単に。 「奥州後三年記」によれば、秋田の柵を攻めた権五郎景政16歳のときです。 敵の鳥海弥三郎という者に片目を射られながらも、矢も抜かず弥三郎を射倒し味方の陣地へ帰還しました。 三浦平太為継という武士が、轡を履いた足で顔を押さえ、目に刺さった矢を抜こうとしました。 すると景政は、「弓矢で命を落とすのは武士の本望。だが、轡で顔を踏まれるのは死に値する恥である。」とその非礼を叱責したといいます。 それには、為継も周りの者も、年は若いが立派な武士だと皆感嘆したというお話。 林羅山は、射ぬかれながらも命を落とさなかったことから、「本朝神社考」で、眼病平癒に霊験があると記しました。 そのことから、眼の神様としても信仰されています。

更新履歴

2011年10月25日
初版をアップロードしました。
2011年10月26日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月4日
ギャラリーに作品を8点追加しました。

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