宝戒寺

萩の寺

1335年創建の天台宗寺院。後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、宝戒寺裏山で自刃した鎌倉幕府最後の執権・北条高時とその一族の慰霊のために建立させたと伝わる。鎌倉一のハギの名所として知られ、「萩の寺」と称される。

宝戒寺

寶戒寺について

撮影後記

 鶴岡八幡宮の東側、鎌倉十橋の一つ「筋違橋」の近く、もとは北条得宗家の屋敷跡があった場所で、入口には北条執権邸旧蹟碑が建っています。 拝観料も良心的なので、八幡さまついでに立ち寄るといいでしょう。
 鎌倉の歴史は血生臭い抗争の歴史でもあり、この寺院もこの地で自刃した北条得宗家一族の菩提を弔うために建立されました。 また、幕府が滅亡して、関東のいち半漁村まで衰退した鎌倉は、その後も衰退しなかった京都とは異なり、「鎌倉の歴史は土の下に埋もれている」とおっしゃっていた小説家もいます。 本堂の地蔵菩薩坐像の床下には五輪塔があって、北条高時の遺骨が埋葬されているそうです。 初春のハクモクレン、初夏のおとなしめの白いアジサイ、初秋の清楚なシラハギ、秋の寂しげな白いヒガンバナなど、血色のような鮮やかな色より白花がこの寺には似合います。

概要・歴史

建武二年(1335年)創建の山号を金龍山(きんりゅうざん)とする天台宗寺院。 開山は円観慧鎮、開基は後醍醐天皇、本尊は地蔵菩薩(子育経読地蔵大菩薩)。 鎌倉一の萩の名所として知られ、「萩の寺」と称される。 北条義時以降の鎌倉幕府執権の屋敷跡の一角に建てられたと云われている。 1333年、新田義貞の鎌倉攻めにより、鎌倉幕府最後の執権・北条高時は、得宗家一族郎党870余名と共に宝戒寺の裏山で自刃し、ここに鎌倉幕府は滅亡した。 寺伝によれば、1335年、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条高時の慰霊のために建立させ、円観を迎え開山した。 しかし、実際の造営が開始されたのは、後醍醐天皇没後に足利尊氏らによってで、2世住持の惟賢らの時代になって本格的に行われたと推定されている。

住所: 神奈川県 鎌倉市小町3丁目5

更新履歴

2011年8月10日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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