鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
山ノ内と扇ガ谷を結ぶ鎌倉七口(鎌倉七切通)のひとつで、中世鎌倉の切通しとしての旧状をとどめている。 巨福呂坂と共に鎌倉街道中道の基点とされ、鎌倉から武蔵へ通じる鎌倉北側の重要な口だった。 名称の由来は、鶴岡の鶴に対して長寿に因んだ瑞祥地名とされる。 亀ヶ谷は鎌倉時代の古地名で、扇ガ谷の小字として昭和43年まで使用されていた。 建長寺回春院の大覚池に住んでいた亀が遠出して、この坂にさしかかったが、あまりの急坂のため引き返したという逸話も残り「亀返坂」とも称された。 「吾妻鏡」によれば、1240年に北条泰時が山ノ内道を修造しているので、この頃開削されたとも考えられる。 ただし、山ノ内道が巨福呂坂を経由していた可能性もあるので、開削時期は正確には不明である。 昭和44年、国の史跡に指定され、国の「歴史の道百選」にも選定されている。 また、世界文化遺産の登録候補地のひとつもある。
北鎌倉カテゴリに掲載していますが、もともと亀ヶ谷は扇ヶ谷の小字なので、鎌倉ハートの方へ掲載すべきかもしれませんが、コンテンツの分散のために北鎌倉カテゴリに掲載しています。
「鎌倉市史」によれば、横須賀線の西側の谷(海蔵寺のひとつ東の谷)から浄智寺に抜けたという旧亀ヶ谷坂ルート説もあるそうで、興味本位で見に行ったことも。
切通しの北鎌倉方面の北側は、比較的涼しく、ギャラリーにも掲載したシダ植物やイワタバコなどが岸壁に着生しています。
先日には、どこぞやの開発業者が許可なく土地を造成して、ペット霊園ができるとかいうような、ちょっとしたニュースにもなっていました。
一方、扇ガ谷方面である南側は、開けていて比較的暖かく、鉱泉も涌いて亀や蛇も多く生息していたところだったそうです。
大昔には建長寺の療養施設もあったそうで、私が所持している鎌倉の古地図にも、温泉旅館の姿が見てとれます。
現在は集合住宅となって、立ち入ることはできません。
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