名越切通

初期遺構を最も残す切通

鎌倉七口のひとつで、鎌倉から三浦半島へ通じる浦賀道の一部であった。名前の由来は、峻険で「難越」(なこし)と呼ばれたことに由来する。鎌倉七口のなかでも、初期の遺構を最も保っている切通とも云われる。

名越切通

名越切通しについて

撮影後記

 六浦路(金沢街道)の朝比奈切通が、塩などの物流を運ぶ幹線路として整備されたのに対し、名越切通しは、防衛の意味合いが強く、狭路で鎌倉七口のなかでも初期の(切通し本来の)姿を保っています。 なお、まんだら堂跡や大切岸も含めて国の史跡や世界遺産指定候補になっているので、後ほどこの両者についてもアップしていきます。
 名越切通の下には、JR横須賀線の名越トンネルと一般道の名越隧道が通っています。 後者は、小坪トンネルと呼ばれ、通称「お化けトンネル」という心霊スポットとして全国的に有名です。 恐らく、曼荼羅堂や火葬場やサリーちゃんの館などが切通周辺にあるからだと思います。 実際、切通とは殺戮の現場とも云えるので、土には野武士たちの亡骸が混ざっているはずです。 学生時代、神奈川や鎌倉とは縁もなかった自分が、友達仲間と小坪トンネルまで深夜にドライブに行って肝試したなぁと思いだしました。 撮影のため、暗いうちから懐中電灯を照らし、独り切通を通ることもある今考えれば、あの頃は若かったなと(今も若いですが)、ほくそ笑んでしまいます。 でも、いい想い出ですが。

概要・歴史

鎌倉七口(七切通)のひとつで、鎌倉から浦賀へ続く浦賀道の一部で、三浦半島へ通じる交通の要衝であった。 名越切通(なごえきりどうし)の名称の由来は、峻険で「難越」(なこし)と呼ばれたことに由来する。 鎌倉七口のなかでも、初期の遺構を最も保っている切通とも云われる。 切通し北東の山稜は、鎌倉城(鎌倉自体を大きな城郭と見立てている)東稜の防衛拠点と伝えられる大切岸(おおきりぎし)と平場の、ひな壇状の構造が続いている。 幕府にとって衣笠城を拠点とする三浦氏は脅威であり、三浦半島へ通じる名越は防衛の最重要拠点であった。 また、やぐら(岩窟に掘られた横穴式の墳墓や供養堂)が密集した「まんだら堂やぐら群」が道中に残る。 昭和41年、切通が国の史跡に指定され、その後、大切岸やまんだら堂などを含め幾度か追加指定され拡大された。

所在地: 神奈川県 逗子市小坪・鎌倉市大町

更新履歴

2011年8月20日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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