散在ガ池森林公園

鎌倉湖

今泉台にある「鎌倉湖」とも称される散在ガ池を中心とした自然豊かな風致公園である。公園には、散策路がいくつか整備され、野鳥観察のポイントであるほか、春は桜、秋は紅葉を湖面に映し出す様は神秘的である。

散在ガ池森林公園

散在ガ池森林公園について

基本情報

名称
散在ガ池森林公園(さんざがいけしんりんこうえん)
別称
鎌倉湖
指定
風致公園
駐車場
駐車場なし
交通機関
大船駅より今泉不動バス停徒歩3分
所在地
神奈川県鎌倉市今泉台7丁目1-930
サイト
鎌倉の公園

概要

今泉台にある12.9ヘクタールの散在ガ池を中心とした自然豊かな風致公園である。 昭和57年に散在ガ池森林公園として開園した。 鎌倉湖とも称される散在ケ池は、江戸時代末、岩瀬、今泉の水田では、水不足から水争いが絶えなかったことから、岩瀬・今泉の有志が灌漑用ため池を造営した人造湖である。 安政年間、称名寺住職が持山を、大船、岩瀬、今泉の三か村に無償で分与したため、散在ガ池といわれる。 公園には、散在ヶ池を中心として散策路がいくつか整備されている。 また、野鳥観察のポイントであるほか、春は桜、秋は紅葉を湖面に映し出す様は神秘的である。

見所

観光名所
散在ケ池(鎌倉湖) - 幕末に造られた灌漑用の溜池。海抜 43m、面積 9,495m2 、最大水深 7.6m。
馬の背の小径 - 湖畔東側の約700mの尾根道ルート。
のんびり小径 - 湖畔西側の約800mの谷道ルート。
せせらぎの小径 - 沢に沿った散策路。
パノラマの小径 - 大きな石を周遊する約100mのルート。景色はよくない。

歴史

江戸時代
裏今泉と呼ばれていたこの一帯は称名寺(今泉不動)の持山であった。
1854~1859年
安政年間、称名寺住職が、大船、岩瀬、今泉の三か村にこの地を無償で分与した。そのため「散在の山」と呼ぶようになったと伝わる。
1860~1863年
万延・文久年間、大船・岩瀬の千石といわれる水田では、水不足から水争いが絶えなかった。
1864年
散在の山を統轄していた小菅谷(横浜市栄区)の代官 梅澤与次右エ門が、岩瀬・今泉の有志を集め、堤高13.3m、堤長56.5mの土堰堤(灌漑用水池)を完成させた。
昭和32~34年
大船土地改良区による堤の改修が行われた。
昭和42~43年
今泉台の宅地化で、調整池としての機能が整備された。
昭和57年
散在ガ池森林公園が開園した。

撮影後記

 天園ハイキングコースへの入口が近くにあり、鎌倉ハイクの基地としてもよい公園です。 ここが鎌倉であることを、しばし忘れさせてくれる、そんな素敵なところです。
 この池には次のような伝説があります。 その昔、このあたりに子供に恵まれない長者夫婦が住んでいて、池には池の主の大ウナギが住んでいると信じられていました。 ある日、夢枕に神様が現れ「男の子を授けるが、決して池の魚を殺してはいけない。」とのお告げがありました。 間もなく、長者夫婦に男の子が生まれ、長者は神託を守り、男の子を池に決して近づけないようにしていました。 しかし、そこは男の子、こっそりと池の魚を取っているのでした。 再び夢枕に神様が現れ、今度は「家に引き籠らせ、外にも出してはならない」と激怒されました。 男の子は、家の外さえ出ることが許されず、徐々に衰え、衰弱していきました。 男の子は長者に「もう一度だけ池を見せてください。」と涙ながらに訴えました。 さすがに長者はかわいそうになって、一緒に池へいくことにしました。 すると男の子は急に元気になって、池へ飛び込んでしまいました。 しばらくすると、池が真っ赤に染まりました。 男の子は、池の大うなぎを殺してしまったのです。 男の子は、二度と水面に顔を出すことはありませんでした。

更新履歴

2012年7月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

散在ガ池森林公園紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

京都

京都紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野