昌清院

円覚寺塔頭

臨済宗円覚寺塔頭如意庵の末寺。「相模風土記」によれば、1597年に如意庵八世が庵の隠居寺として開いたという。江戸時代以降、衰退し無住時代が続いていたが、昭和45年に現在の山崎の地に建て直され復興した。

昌清院

昌清院について

基本情報

山号寺号
山崎山昌清院(さんきざんしょうせいいん)
宗派
臨済宗円覚寺派
寺格
円覚寺塔頭
創建
1597年(慶長2年) - 相模風土記による。
開山
以足徳満(いそくとくまん) - 相模風土記による。
本尊
釈迦如来
駐車場
駐車場なし
交通機関
山崎バス停徒歩5分
住所
神奈川県鎌倉市山崎1482

概要・歴史

臨済宗円覚寺塔頭如意庵の末寺。 「相模風土記」によれば、1597年に如意庵八世の以足徳満が庵の隠居寺として開いたという。 一方、当寺に伝わる木造無礙妙謙(むげつみょうけん)座像(無礙は円覚寺三十六世を務め如意庵を開いた仏真禅師。)の胎内銘には、「当院開山」と記されている。 はじめ山号を長崎山(ちょうきざん)と号していたが、その後、裏山に諏訪社があったことから諏訪山とし、近年、山崎山と改められた。 江戸時代以降、衰退し無住時代が続いていたが、昭和45年に現在の山崎の地に建て直され復興した。 仏殿には、 本尊の釈迦如来像(江戸時代作)をはじめ、宝積寺(廃寺)本尊だった十一面観音像(江戸時代作)、かつて十王堂に安置されていた十王像、奪衣婆像(室町後期作)などが安置されている。

見所

観光名所
仏殿(本堂) - 中央に本尊の釈迦如来像(江戸時代作)、右に開山の仏真禅師像と十王堂中興の興宗鏡考像、左に鎌倉十体の地蔵菩薩像が安置されている。他に宝積寺(廃寺)本尊だった十一面観音像(江戸時代作)、かつて十王堂に安置されていた十王像、奪衣婆像(室町後期作)などが安置されている。
池 - 仏殿裏にある溜池。「昌清院の池」や「すり鉢池」と呼ばれる。
諏訪社 - 裏山にある社。かつては「諏訪山」という山号だった。
祠 - 裏山にある「椿弁天」や「洲崎弁天」と呼ばれる石造の祠。新田義貞が鎌倉攻めの際、この祠に隠れて敵の襲撃を逃れたともいわれ「新田義貞の守り本尊」という逸話がある。
墓地 - 寺分の横穴墓(住宅造成のときに壊された)に葬られていた人骨の墓。
十王堂跡 - 山崎集会所のあたり。江戸時代に現在昌清院に安置されている十王像を祀る十王堂があった。現在、北野神社から移された神輿が保管されている。階段を上ると十王堂中興開山の興宗鏡考の墓がある。

撮影後記

 北鎌倉の円覚寺の境外塔頭。 鎌倉中央公園の北側、山崎の入り組んだ谷戸にひっそりとあります。 この辺りは、鎌倉でも古くから人が住んでいた場所で、戦後の大規模宅地造営されるまでは奈良時代の横穴墓群などがありました。 現在、鎌倉国宝館に当時の発掘されたものが保管されています。
 普段、山門に木柵があって入れなくなっているので一般拝観はできないようです。 ただ、拝観謝絶とは書いてないので、仏殿の寺宝などを拝観したければ連絡すれば拝観できるのかもしれません。

更新履歴

2012年6月19日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月19日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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