長寿寺

足利尊氏の菩提寺

1323年~1336年頃に創建された臨済宗建長寺の塔頭。初代鎌倉公方・足利基氏が、父・尊氏の菩提を弔うため、尊氏の屋敷跡に建立したと伝わる。境内奥のやぐらには、尊氏の遺髪を埋めたとされる尊氏の墓がある。

長寿寺

長寿寺について

基本情報

山号寺号
宝亀山長壽寺(ほうきさんちょうじゅじ)
宗派
臨済宗建長寺派
寺格
建長寺塔頭
創建
1323年~1336年
開山
古先印元(こせんいんげん)
開基
足利基氏 - 足利尊氏という説も。
本尊
釈迦如来
駐車場
なし - Uターン不可なので亀ヶ谷坂に車で進入しないよう。
交通機関
北鎌倉駅より徒歩10分
住所
神奈川県鎌倉市山ノ内1503

概要

臨済宗建長寺の塔頭。 初代鎌倉公方・足利基氏が父・足利尊氏の菩提を弔うため、尊氏の屋敷跡に古先印元を迎え建立したと伝わる。 一節には、足利尊氏が建てたとも云われる。 寺号は、尊氏の関東での法名「長寿寺殿」(京都では「等持院殿」)から名付けられた。 境内奥のやぐらには尊氏の墓といわれる石塔があり、尊氏の遺髪を埋めたとされる。 本堂には足利尊氏坐像が安置され、胎内には尊氏の歯が納められているという。

見所

観光名所
足利尊氏の墓 - 境内奥のやぐらには、尊氏の遺髪を埋めたとされる変形五輪塔がある。
観音堂 - 奈良の園成寺多宝塔を大正時代に移築した。
庭園 - 山門側の苔庭と書院から眺められる白沙と緑苔で作庭された枯山水がある。
シャガ - 春にはシャガの大群生となる。
ハギ - 亀ヶ谷坂側に見事な萩が垂れる。

歴史

1294年
開山の古先印元が薩摩に生まれた。
鎌倉時代末
足利尊氏の屋敷が当地にあったと伝わる。
1323~1336年
古先印元を迎え長寿寺が建立された。
1358年
足利尊氏が京都で死去。
同年
四男の足利基氏が七堂伽藍を建立した。
1374年
古先印元が死去。
1448年
火災で焼失。
平成18年
本堂が再建された。

撮影後記

 このお寺さんは、拝観日が金曜・土曜・日曜なので注意してください。 また、雨降りなどの日は拝観できないそうです。
 あと、なぜか一眼レフカメラ以上で境内を撮影することができません。 京都嵯峨野の宝筐院の如く、ここも自己中カメラマンと自己中の宗教家の負の連鎖なのでしょうか? コンパクトカメラならば撮影できますので、どうしても写真を撮りたいイチガンの方は、もう一台持参してください。 (ギャラリーに掲載した写真は、外から覗き見したものです。) 個人的には、手入れが行き届いた庭があり、写真のことは忘れてゆっくりすることをおススメします。

更新履歴

2011年9月23日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月17日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

長寿寺紀行のコメント

コメント欄

お世話様です。以前、鎌倉に居住してました。現在は長野県軽井沢町追分で19年が過ぎました。まだ実家が存在しますので、そろそろ子育て中に成し得なかった、お花めぐりを実行すべく思っています!情報を感謝いたします。

最近まで一眼レフ禁止でしたが、どうやら解禁したようです。
12月7日にコンデジ持参で行った処、例の「一眼レフカメラ撮影禁止 コンパクトカメラ可」の大きな看板はなく、皆さん堂々と大きなカメラで撮影していましたが、おとがめ無しでした。
但し、マナー違反のカメラマンを監視(?)するためか、前庭園の真ん中に女性が立っていて、周囲に目を配っていました。
今年の秋の公開は終わりましたが、観音堂の後ろ側の紅葉が素晴らしかったです。

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