長勝寺

寒中水行

材木座にある日蓮宗寺院。日蓮の松葉ヶ谷法難跡地とも、この地の地頭であった石井長勝が自邸に法華堂を建て、伊豆から戻った日蓮を保護したのが起源ともいう。毎年2月11日には、寒中水行の荒行が境内行場で行われる。

長勝寺

長勝寺について

基本情報

山号寺号
石井山長勝寺(せきせいざんちょうしょうじ)
宗派
日蓮宗
創建
1263年(弘長三年)
開山
日蓮
開基
石井長勝
本尊
大曼荼羅
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
長勝寺バス停徒歩3分
住所
神奈川県鎌倉市材木座2丁目12-17

概要

材木座にある日蓮宗寺院。 日蓮の松葉ヶ谷法難跡地とも、この地の地頭 石井長勝が自邸に法華堂を建て、伊豆から戻った日蓮を保護したのが起源ともいう。 南北朝時代、洛中六条河原へ移り(京都山科にある大本山本圀寺の前身)、鎌倉の地は廃寺となったが、その後に石井長勝に因み再興された。 境内の法華堂は、室町時代末の建立で、五間堂では関東最古といわれる。 毎年2月11日には、寒中水行の荒行が行われ、鎌倉の冬の風物詩として知られる。

見所

県文化財
法華堂 - 室町時代末の建立。「法華三昧堂」とも称される祖師堂。五間堂では関東最古といわれる。
大壇 - 法華堂にある鎌倉時代末作の護摩壇。
鰐口(わにぐち)- 法華堂にある1515年(永正十二年)の作。
燭台 - 法華堂にある1432年(永享四年)の作。もと極楽寺講堂にあったもの。
観光名所
本堂 - 帝釈堂とも。日蓮が松葉ヶ谷法難の際に帝釈天の使徒である三匹の白猿に救われたという故事に因み、多宝塔内に帝釈天が祀られている。
山門 - 江戸時代後期の建立。
日蓮聖人像 - 高村行雲作の銅像。東京洗足池の畔から裏山の墓地に移され、現在は本堂前に立っている。
四天王像 - 持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)が、日蓮聖人像の脇侍に立っている。
本師堂 - 八角堂に昭和60年に寄贈されたタイ王国ワサケ寺の黄金釈迦尊像が祀られている。
六角堂 - 日蓮の舎利殿。
行場 - 毎年2月11日に行われる、寒中水行の荒行場。
赤木圭一郎像 - 若干21歳の若さで逝った昭和の映画俳優の胸像。鎌倉高校卒業。

行事

2月11日
國祷会 - 千葉県にある法華経寺で百日間に及ぶ荒行を続けてきた修行僧が、当寺で最後の水行を行う。

歴史

1253年
日蓮が松葉ヶ谷のこの地に草庵を建立したともいわれる。
1260年
日蓮が立正安国論を著わし、北条時頼により松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされるも難を逃れた。(松葉ヶ谷法難)
1261年
日蓮が伊豆国伊東へ流罪になった。(伊豆法難)
1263年
日蓮に帰依していた松葉ヶ谷付近の地頭 石井長勝が、この地にあった自邸に法華堂を建て「本国土妙寺」と号し、伊豆から戻った日蓮を保護した。
1345年
本国寺が洛中六条河原へ移り、鎌倉の地は廃寺となった。(京都山科にある大本山本圀寺の前身)
室町時代
日静が再興し、石井長勝にちなみ「石井山長勝寺」と号された。
江戸時代
江戸幕府から朱印状が与えられた。

撮影後記

 日蓮が鎌倉に来て最初に草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡ともいわれている場所のひとつです。(他は妙法寺と安国論寺) また、京都山科の本圀寺の旧跡地でもあります。 境内の上の方に材木座霊園の広大な墓地が広がります。 ここからは、材木座・大町より材木座海岸から由比ヶ浜までのパノラマビューを楽しめるので、時間がある方はちょっと足をのばすとよいでしょう。

更新履歴

2012年8月9日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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