鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
古来より佐助川の水源に農業神として祀られてきた建久年間(1190年~1199年)建立の古社。 縁起によると、伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であった源頼朝が病に伏したとき、翁の姿を借りた「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢枕に現れ、挙兵を勧めたという。 頼朝は、神託に従い挙兵をし鎌倉に幕府を開くまでになった。 その後、「かくれ里」と呼ばれるこの地で祠を見つけ、御家人の畠山重忠に命じ、社を建立させたと伝わる。 佐殿(すけどの)と呼ばれていた源頼朝を佐けた(助けた)ことから、「佐助」と名が付いたといわれる。 長らく鶴岡八幡宮の飛地境内社だったが、明治42年に独立した。 二月初午の日に行われる例祭「初午祭」では、豊作や商売繁盛が祈願され、神楽が奉納される。
佐助と云えば猿飛佐助や、昨日放送していたTBSのSASUKEを連想します。
ここも、「かくれ里」という縁起から、忍者とか、その類のイメージが似合う昼間でも薄暗い木立に囲まれた森閑とした場所です。
裏山の佐助ガ山の急斜面を上ると葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースに合流することができます。
来た道を引き返さずに銭洗い弁天へ抜けることもできますし、さらに、鎌倉の大仏や北鎌倉の浄智寺まで足を伸ばすのもいいですね。
上記で佐助の地名の由来について、頼朝の縁起を紹介しましたが、他にもあるようです。
ここ「佐助ガ谷」は、昔は「佐介ガ谷」と書いたそうであります。
千葉介、三浦介、上総介の三介の屋敷があり、「三介ガ谷」と呼ばれたものが転訛したという説であります。
律令時代の介(すけ)とは、今でいう次官のようなもので、頼朝も昔は衛門府の介であったそうです。(だから佐殿なのか?)
また、介は助けるという意味合いもあるので、これらが相関しているのではと思ったりもします。
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