佐助稲荷神社

かくれ里の稲荷

伊豆で流人の身だった頼朝が病に伏したとき、「かくれ里の稲荷」が夢枕に現れ、挙兵を勧めたという。その後、幕府を開くまでになった頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地で祠を見つけ、社を建立させたと伝わる。

佐助稲荷神社

佐助稲荷神社について

基本情報

社名
佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)
創建
建久年間(1190年~1199年)
主祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) - 別名ミケツカミで稲荷神(お稲荷さん)。
旧社格
鶴岡八幡宮境外社
例祭
二月初牛日
駐車場
駐車場なし
交通機関
鎌倉駅西口徒歩15分
住所
神奈川県鎌倉市佐助2丁目22-12

概要・歴史

古来より佐助川の水源に農業神として祀られてきた建久年間(1190年~1199年)建立の古社。 縁起によると、伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であった源頼朝が病に伏したとき、翁の姿を借りた「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢枕に現れ、挙兵を勧めたという。 頼朝は、神託に従い挙兵をし鎌倉に幕府を開くまでになった。 その後、「かくれ里」と呼ばれるこの地で祠を見つけ、御家人の畠山重忠に命じ、社を建立させたと伝わる。 佐殿(すけどの)と呼ばれていた源頼朝を佐けた(助けた)ことから、「佐助」と名が付いたといわれる。 長らく鶴岡八幡宮の飛地境内社だったが、明治42年に独立した。 二月初午の日に行われる例祭「初午祭」では、豊作や商売繁盛が祈願され、神楽が奉納される。

見所

観光名所
下社 - 上社参道入口に建つ。十一面観音は良縁の神様。5月18日の縁日に開帳される。
参道 - 上社への参道。朱塗りの奉納鳥居が続く。
上社 - 森閑とした境内。本殿は拝殿の奥、石段を上った先にある。
稲荷の御塚 - 社殿がない時代の原始信仰の名残。
霊狐泉 - かつて稲荷山は、麓の田畑を潤す水源であった。現在も霊泉が湧き出ている。
シダ植物 - 苔生した祠とシダ植物が隠れ里らしい雰囲気。

撮影後記

 佐助と云えば猿飛佐助や、昨日放送していたTBSのSASUKEを連想します。 ここも、「かくれ里」という縁起から、忍者とか、その類のイメージが似合う昼間でも薄暗い木立に囲まれた森閑とした場所です。 裏山の佐助ガ山の急斜面を上ると葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースに合流することができます。 来た道を引き返さずに銭洗い弁天へ抜けることもできますし、さらに、鎌倉の大仏や北鎌倉の浄智寺まで足を伸ばすのもいいですね。
 上記で佐助の地名の由来について、頼朝の縁起を紹介しましたが、他にもあるようです。 ここ「佐助ガ谷」は、昔は「佐介ガ谷」と書いたそうであります。 千葉介、三浦介、上総介の三介の屋敷があり、「三介ガ谷」と呼ばれたものが転訛したという説であります。 律令時代の介(すけ)とは、今でいう次官のようなもので、頼朝も昔は衛門府の介であったそうです。(だから佐殿なのか?) また、介は助けるという意味合いもあるので、これらが相関しているのではと思ったりもします。

更新履歴

2011年10月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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